偐万葉田舎家持歌集
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ブロ友の龍の森氏、偐万葉シリーズ記事では、龍森麻呂とお呼びしていますが、同氏の最近のブログ記事で、ドングリ(クヌギの実)を食べてみようと奮闘努力の様子をご紹介されています。 それに触発された訳ではありませんが、フジの実ならもっと手軽に食べられるのではないかと思い、ネットで検索してみると、試されたお方が居られるようで、ソラマメのようにホクホクした味であったなどと紹介されていました。 そんなことで、銀輪散歩の途中で見かけた藤棚に実がたわわになっていたのを一つ失敬して、豆莢を割ってみました。 (藤棚のフジの実) 天皇家との姻戚関係を結ぶことによって氏族の勢力を伸ばし、その安泰、繁栄を期すというのは、古代氏族の当たり前の行動であるが、その成功例の最たるものが藤原氏である。 何かに絡み付いて成長する蔓性植物のフジ。天皇家にまとわりつき、これをからめとって、権力を手中にし、それを維持し続けた藤原氏には、いかにも似合いの植物である。 仁徳天皇の皇后・磐之媛は葛城氏の出自。葛城氏も一時はそのような地位にあった。平群氏や蘇我氏も同様。しかし、千年以上もの長きに渡り、その地位を維持し続けた藤原氏に比べればものの数ではない。 葛も蔓性植物。巨木に絡みついている葛と藤。この両者が相互に絡み付くと何が何やら分からない壮絶な眺め。「葛藤」などという言葉がある由縁だろう。植物世界では両者はいい勝負かもしれないが、歴史上は藤が葛を圧倒しているから「藤葛」と言うのが適切か。しかし、それなら勝負は決まったも同然だから、「葛藤する」までもないということで、意味が逆になってしまうか。やはり「葛藤」でいいのか(笑)。 はい、氏族繁栄を象徴するかのように、実と言うか、豆と言うか、たわわになっています。 見ようによっては、美しい眺めでもあります。 (同上) こんなに沢山なら、一つくらいはいいだろうと、小さな莢を一つ失敬。 「失敬」などと表現しているが、これは無礼・不作法という類のものではなく、「窃盗」という違法・不法行為、犯罪行為に該当するのであるから、此処だけの話、内緒の話はあのねのね、なのであります(笑)。 (同上) これは大き過ぎるか。もっと小さいのでいい。 (同上) で、もっと小さいのを一つ、そっと失敬したという次第。 その割には大胆に、その藤棚の下のベンチで、豆莢を割るというヤカモチでありました。 小さな豆莢を選んだので、中には豆が一つだけ。 盛んに「小さな」を強調しているのは、ヤカモチの本能的自衛行動というヤツで、その違法性を少しでも小さく見せようとする「せこい」心根が透けて見えるのであります。 それはさて置き、とても固い豆莢。 割るのも一苦労。ソラマメやエンドウとは訳が違う。 で、現れたのが、こんな豆。 (フジの実、豆莢を割ってみると・・) サンショウウオかヒキガエルのオタマジャクシの皮膚の模様のような、ちょっとグロテスクな色合いの豆。 道端に置けば、小石に紛れ込んでしまいそうでもある。 (同上) この皮を剥くと、美しい色つやの豆となりました。 この薄皮は簡単に剥ける。 茹でたりして食べるのであれば、薄皮のままに茹で、食べるときに剥くか、或いは、そのまま皮ごと食べてもいいのかもしれない。 (皮を剥くと・・) 齧ってみようかとも思いましたが、多分、苦いか渋いのだろうと、思いとどまりました。 (同上) 龍の森氏に倣って、茹でて食するところまで記事に仕立てるのが筋でありますが、記事タイトルが「フジの実食べちゃいました。」ではなく「剥いちゃいました。」であることが示すように、ヤカモチは「剥く」ところまででお終いであります。 豆一個では茹でるのは馬鹿げているし、沢山の豆を収穫するとなると、公園の藤棚とは言え、立派な「窃盗罪」となりますから、無理。 以上、中途半端な記事でありますが、ヤカモチ的には、これにて一件落着であります。 <参考>龍の森氏のブログ記事 〇ドングリ(クヌギ)を食べてみようとー1 2021.10.24. 〇ドングリ(クヌギ)を食べてみようとー2 2021.10.25. 〇どんぐり(くぬぎ)クッキーー3 2021.10.26.
<参考>花関連の過去記事 花(4)・2020.4.~ 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
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プロフィール
けん家持
養老2年(718年)の生まれゆゑ、年令1306才(養老元年生れ説だと1307才)。銀輪歌人、偐家持(ニセヤカモチ)。若草の里の読書会に屯しています。時に「まっ黒の走子」。時に「偐定家」。時に「筆蕪蕉(不精者)」であります。また、時々は偐家持美術館のヤカモチ館長でもあります。自転車(銀輪)であちらこちらを気ままに散歩し、花を愛でたり、虫と遊んだり、万葉調の歌(と言っても大抵は戯れ歌)などを作ったりしています。
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