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テーマ:本日の1冊(3697)
カテゴリ:ちょっとなつかしのファンタジー
以前、ケネス・グレーアムの名作『たのしい川べ』の続編ウイリアム・ホーウッド作『川べにこがらし』を読んだのですが、先日これのさらに続編『川べに恋風』を発見し、さっそく楽しみました。
原題は「Toad Triumphant」(勝利を得たヒキガエル)といいますが、この「勝利」とは『たのしい川べ』の終章でヒキガエルが、イタチどもから屋敷を取り返すくだりで使われていた言葉でもあります。続編の作者は、『こがらし』同様、グレーアムの原典に呼応するような筋書きや言葉使いをきっちりと用いているらしいのです。 では、今回はどんな「勝利」なのでしょうか。 表紙絵を見ると、原典『たのしい川べ』の画家E・H・シェパードと画風の似たパトリック・ベンソンの描く、生きた銅像と化したヒキガエル氏の姿があります。そう、『川べに恋風』では、ついにヒキガエル氏の銅像が(ローマの皇帝風なのですが、彼自身は「凱旋(triumphant)将軍風」と言っています)、建ってしまうのです! 邦題から推測できるとおり、今回はヒキガエル氏に恋という冒険(熱病)がふりかかります。自動車よりも飛行機よりも熱狂的なものと言っては、この時代(20世紀初頭ぐらいの設定)にはもう恋しかありますまい。しかし、それでは彼はついに恋の勝者にもなったのか? といえば、実はそうではないのです。 『たのしい川べ』は男性だけの世界です。イギリス文学には独特の「独身男性=bachelor」像や彼らの社会があるような気がしますが、モグラ、ミズネズミ、アナグマ、ヒキガエルたちはまさに独身貴族を謳歌している古典的・理想的な男性たちです(カワウソには息子がいるが父子家庭)。色恋沙汰にかまけて友情や趣味豊かな日々の落ち着いた暮らしを乱すことはありません。迷惑をこうむる家族がいないからこそ、ヒキガエルも羽目をはずすことができるのでしょう。 一方、この手の物語は常に一つの課題をかかえていて、それは黄金時代の永遠化ということです。以前『くまのプーさん』や『長くつしたのピッピ』のラスト・シーンで幼年時代が永遠化されることに触れましたが、川べの世界は「幼年」ではないにしろ、女性が排除されている点で永遠の独身時代といえそうです。『たのしい川べ』でも、モグラの登場以来、次々にエピソードが語られ、一見、たのしい川べ世界がいつまでも変わらず続きそうに思えます。そこではヒキガエルは性懲りもなく羽目をはずしては、またもとの川べ仲間のところへ戻って来る・・・ しかしグレーアムは、イタチどもから屋敷を奪還した後、ヒキガエルは性格が変わり、落ち着いて精神的に大人になったと述べて、物語をしめくくっています。そこには、一抹の抵抗感・さびしさが漂います。 ホーウッドは続編『川べにこがらし』で、原典の結末、つまり「大人になること」に抵抗を示しています。大勢の読者の気持ちを代弁して、そんなに簡単にヒキガエル氏が落ち着いてしまうはずがない!というわけです。そして、ヒキガエル氏は飛行機に乗り出します。結末ではとうとう屋敷が火事で燃えてしまいますが、保険金がおりるからすぐにも新しい屋敷を建て直すとヒキガエルは断言しています。モグラとミズネズミもボートに戻っていき、また楽しい独身世界が繰り返すだろうと思われます。 けれど、ホーウッドはここでも原典にならって、あるいはグレーアムよりもっとはっきりと、「永遠化」の問題に取り組む姿勢を見せています。それは最後の場面にカワウソの息子ポートリと、モグラの甥をもってきたところ――最初はモグラにとって厄介者だった甥が、やがてはモグラの後を継ぐだろうということが暗示されているのです。 そもそも、読み返してみると『こがらし』には、川べ世界をおびやかす影、永遠の黄金時代とは相容れない“死”や「あの世(beyond)」の描写がたくさん出てきます。しょっぱなから、とても現実的な内容のモグラの「遺書」があり、ついで飛行機から放り出されたミズネズミが墜落していく短い時間に「あの世」を見る体験をします(実際には川上の景色だったのですが)。これらは、時の流れや世界の変化を感じさせ、物語がもう永遠の楽しいくり返しでは済まなくなる(幼年=黄金時代の終わり)兆しと思われます。 前置きが長くなりましたが、今回の『恋風』ではそれがいっそう具体的に問題になってくるのです。そのため、幼年文学ならでは楽園的楽しさはかなり損なわれ、ヤングアダルトというか、大人向きの話になっています。 まず、いつも物語の発端であるモグラは、漠然とした不安にとりつかれていますが、これこそ黄金時代の終焉の予感、時の流れの自覚で、彼は「新しい世代」にゆずることを考え、自分には甥、カワウソには息子がいるが、アナグマやヒキガエルたちには財産を受け継ぐ後継者がおらず、川べの世界は自分たちの世代で終わってしまうんじゃないかと心配し始めたのです。 ついで、ヒキガエル氏の例の突発的熱狂で、彼は新しい屋敷の庭の真ん中に自分の銅像を建てようと計画します。銅像こそ、黄金時代の永遠化にほかなりません。彼も無意識に、自分の黄金時代の終わりを感じとり、今のうちにメモリアル(「永遠の不滅」と彼は言っています)をつくって永遠化しようとしているのです。 さらに、降ってわいたような、夫を亡くしたヒキガエルのマダムの登場で、もちろんヒキガエル氏は恋に恋して熱狂し、気楽なバチェラー仲間の平穏は危機に陥ります。少なくとも、アナグマはそう感じているようです。 ところが、当のアナグマ自身にも変化がありました。封印してきた過去(実は妻子持ちで、妻は病死し、息子は出て行った)が明らかになり、モグラとネズミは出て行った息子の足跡をたどって、「あの世」へ探検に出かけます。 あの世といっても、実際には地続きの、川をさかのぼった土地なのですが、モグラたち小動物にとっては滝だの恐ろしいカワカマスだの、誰も帰って来ないだの、畏怖と伝説と魅力?に満ちた別世界です。 彼らがさかのぼる川は岸に廃墟などが見え、まるでレテ川やアケロン川(三途の川)のよう、あの世のとば口の酒場に集っているのはなんだか亡者のようでもあります。しかし、モグラとネズミはついにアナグマの息子そして孫を見いだすことができました。さらに、ヒキガエルが、自分そっくりの少年ヒキガエル(マダムの連れ子)を従えて乗りこんでくると、陰気な酒場はたちまち彼の熱狂と勝利にわきかえり、読者を生き返ったような気分にさせてくれます。 物語にはさらに、英国ならではの(これも独身)プロフェッショナルな執事プレンダガーストが、トリックスターのように表に裏に大活躍して、結局マダムは排除され、ヒキガエルは申し分のない後継者である少年を得ました。これこそが、生命のない銅像よりもすばらしい「永遠化」つまり、生命の譲り渡しという、すべての生き物が時の流れに対抗して得ることのできる勝利でした。 恋をしてこそ一人前、ようやくヒキガエルは大人になったようです。とはいえ、作者はまだ完全に満足はしていないようで、このあと「The Willows and Beyond(柳とあの世)」という完結編があるそうです(ただし邦訳はありません)。そこでは黄金の川べ世界にほんとうの終焉がおとずれるのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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