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カテゴリ:これぞ名作!
中学生の頃、母にすすめられて、旧仮名遣いの、いっぱい注釈のついた読みづらい文庫本(上・中・下!)を手に取りました。(画像は新しい版です)
1896年出版、1905年のノーベル文学賞作品。なんと100年以上前の小説です。 さぞかし訳の分からない、堅苦しい書物と思いきや。 じつはこの作品、読み出したらとまらない系のお話でした。 古代ローマの歴史だとか、なんにも予備知識がなくても、主人公の一途な青年ヴィニキウスと可憐な美少女リギアの初々しい純愛が、当時まだ新興宗教であったキリスト教と、暴君ネロとに翻弄されるという、ハラハラドキドキの物語。 あるいは、「美の審判者」と呼ばれる趣味人ペトロニウスの、ネロや佞臣ティゲリヌス相手の、駆け引きの面白さ。 はたまた、7日間燃え続けた「ローマの大火」の、恐ろしくもスペクタクルな描写。人々のパニック、暴動、そこへ飛び込んでリギアを救おうとするヴィニキウス、火事を題材にした詩作に興ずるネロ。 後半になると放火の罪をかぶせられたキリスト教徒の大迫害や、それを見物する皇帝・貴族・市民の反応、殉教していく信徒たちの凄まじい宗教的情熱など、鬼気迫る感じになってきます。その中で、キリスト教徒のリギアはコロッセウムで、野獣に引き裂かれて死んでしまうのか、あるいはヴィニキウスに彼女を救うことができるのか? 彼らを助けようとして政争に敗れたペトロニウスはどうなるのか? など、幾重ものクライマックスがたたみかけられます。 映画化もされているようですが、小説の語り口がわかりやすく細やかなので、文字で読んでも興奮まちがいなしです。そして、もちろん、奇蹟が起こります。 ・・・というわけで、最初私はエンターテイメントとして読み、再読するあたりから、古代ローマの歴史や生活様式やキリスト教のあれこれなどに興味を移していきました。 今年また読み返して思うことは、冷静に見ていくと、ネロの狂気・乱行のもの凄さと、ちょうど裏返しにキリスト教徒の宗教的情熱・殉教があり、どちらも同じくらい普通じゃない、ということです。 主人公たちに肩入れして読むとすばらしく見える、信徒が暴力に訴えず反論もせず、放火の罪を着せられたまま捕らえられ祈りながら処刑されていく場面、それによって人々が動揺し悪人キロンが改心する場面も、落ち着いてみれば、常軌を逸した宗教的熱狂と思えなくもありません。 このような宗教心には縁遠い、典型的ニッポン人・現代人の私などには、神の御許に行くことのみを救いと考えて恍惚と死を待ちわびる信徒たちの心理状態を、すばらしいとはとても思えないですね。 裏を返せば、このような心理状態に陥るほどに彼らへの圧迫があり、苦しみが大きかったということで、これは、たとえば戦前ニッポンの特攻隊員とか、自爆テロを起こす人々とかの、極限的な状況に通じるのではないでしょうか。 殉教の善し悪しよりも、殉教者を生み出した社会・歴史のひずみにこそ、思いを致すべきかもしれません。 物語には、そういう一歩引いた醒めた目で世の中を見ている人ペトロニウスが居て、作者の冷静な思考を代弁しているともとれます。しかし、ペトロニウスは傍観者にすぎず、彼が自分の美意識のみを追求して結局は自己完結的に死んでいくとき、ここにもある種の極端な信念が描かれています。 芸術にしろ宗教にしろ、あるいは権力や保身や快楽にしろ、どの方向へも超絶的であるがゆえの、波瀾万丈の物語。 いや、何度読んでもおもしろいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 26, 2015 12:28:48 AM
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