『ケルトの白馬』――芸術は永遠に
これもまた、ファンタジーというより“歴史物語”。先日とりあげた『アーサー王ここに眠る』が、物語や歌という芸術を生み出すこと・それが時を超えて人々及ぼす力について語っているとすれば、ローズマリー・サトクリフの『ケルトの白馬』は、絵(地上絵)の誕生とその神秘的な本質をえがきだしています。 サトクリフの他の歴史小説に比べて、分量が短めで、重苦しい部分が少なく、読みやすい作品だと思います。 表紙にはテーマとなる地上絵の航空写真が使われていますが、もっと有名なナスカの地上絵とは趣が違って、いちめんの緑の中を疾駆する純白の馬。白亜の島であるイギリスならではの光景ですね。 『第九軍団のワシ』でも、サトクリフは、実際に発掘されたローマ時代の遺物“ワシ”からの着想を得たそうですが、今度も、実在する雄大な地上絵「アフィントンの白馬」から、『ケルトの白馬』(原題Sun Horse, Moon Horse)の物語を書いたということです。 このような、見事な地上絵はだれがどうして創ったのか。 そのストーリーは至ってシンプル。古代にその地に住んでいた部族が、別の部族に征服されたとき、とりこになった族長の息子が、征服者に命じられてこの白馬を描き、その代わり征服された人々は自由を得て新しい土地を求めに旅立った、というのです。 原題にあるSun Horse(太陽の馬)とは、征服した部族の守護神。しかし、白馬を描いたルブリンは、単に征服者のためにこれを描いてやったわけではありませんでした。 「しかしそれ〔=白馬〕は同時に、われわれの馬でもある。わが一族の月の馬〔Moon Horse〕でもあるんだ。」 ――ローズマリー・サトクリフ『ケルトの白馬』灰島かり訳 と彼は言います。彼は征服される前は兄たちに比べて陰のような存在で、飛ぶツバメや走る馬を描きたいという、他人とは違った欲求を持つために、いわゆる“皆の中でういている”孤独な人でした。 そんなルブリンが、一世一代の地上絵を描くのです。文字通り、全身全霊をこめて。というのは、彼はその絵に命を捧げたからです。もっと別の時代の物語だったら、彼が体力・気力の尽きるまで描き続けて自然に命を終えるような筋もあり得たでしょう。しかし、古代ケルト人の世界では、ルブリンはできあがった地上絵の上で、儀式にのっとってわが身を神〔=白馬〕に捧げるのでした。 単純な歴史的エピソードだけでなく、その深い意味、精神的な、霊的な意味を追求するのが、サトクリフの歴史物語の魅力です。どの物語でも主人公は逆境や苦悩の中にあって、それに負けない自分の生命のあかしとして、ある行為を成し遂げようとします。 『ともしびをかかげて』の主人公は、ローマ軍撤退の夜、近づく暗黒時代を生き抜いていく自分の小さな命の光として、燈台に火をともしましたし、『第九軍団のワシ』の主人公は汚名とともに消えた父や傷ついた自分を回復するために、ローマ軍団のシンボル・ワシを追いました。 『ケルトの白馬』のルブリンも、兄弟たちと違う容貌や、征服された悲嘆、芸術を求める者の孤独などいろいろな負の部分を超えた、自分自身の存在意義を、白馬の絵に見いだします。 彼の親友と妹は生き残った部族とともに新天地へと旅立ちますが、その代償になったルブリン自身は“陰”のまま、白馬を残して命を失いました。しかし、彼の魂は白馬と一体になって、永遠に緑の大地を駆けるのです。殺す側の、征服者の族長の言葉に、その神秘が端的に表されています; 「自由になれ、わが弟」 躍動する白馬に秘められた、古代の芸術家の、力の奔流。それを淡々と描き出すサトクリフもまた、すごくパワフルな芸術家だなあ、としみじみ感じさせられる作品です。