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テーマ:本日の1冊(3697)
カテゴリ:ちょっとなつかしのファンタジー
お正月も過ぎましたが、酉年ということでニワトリの出てくるお話を紹介。
今はなきサンリオ文庫の『ダン・カウの書』(ウォルター・ワンジェリンJr.)です。 主人公がションティクリア(=高らかに歌う、つまりコケコッコー)という名の雄鶏で、彼と配下の動物たちが、悪の化身と戦う勧善懲悪なストーリーが、もったいぶったコミカルな調子で進んでいきます。 中世ヨーロッパ文学に狐のルナール(ライネッケ狐)の物語群がありますが、ちくま文庫の「狐物語」を見ると、荘重な叙事詩をまねてユーモラスに語られており、そこに雄鶏シャントクレールやその妻パントが、動物たちの一員として出てきます。 どうも『ダン・カウの書』の主人公ションティクリアと妻パーティロット(または他の雌鶏たち、登場する田園の小動物たち)は、この中世パロディ叙事詩を念頭に描き出されたのではないかと思うのです。 ちなみに「ダン・カウの書」というのもアイルランドの古い神話伝説を集めた書物の名でして、私はむかしこの本と勘違いして雄鶏の物語を買ってしまったのでした。中味がアイルランドとは全然ちがう動物寓話で最初がっかりしましたが、読んでみるとそれなりに面白いものでした。 それなりに、というのは、寓話とは作者が伝えたいことを細部まで意図して物語に仕立てたもので、イソップ寓話とか、ジョージ・オーウェルの『動物農場』のように、表面の物語よりも、それにくるまれた教訓などの方が存在を主張しがちなのです。作者の意図抜きには読めないお話、とでもいいましょうか。 けれど私は物語自体が主体的に展開していくファンタジー(分類の基準に曖昧なところはありますが)が好みなのです。作者が何より物語を好きで語っていくうちに、おのずと主張がにじみ出たり、普遍的な何かが現れ出てきたりする、そういうのが好きです。 この本の作者はルーテル教会の牧師さんだそうで、上から目線で物語る語り口といい、宗教性が強く感じられるストーリーといい、やはり「キリスト教の寓話」なのだと思います。が、私としては物語そのものを楽しく味わうことにしています。 で、半ば滑稽でドン・キホーテ的に描かれる領主ションティクリア氏ですが、オンドリというのはその姿や仕草から、どうもこんなふうに自意識過剰な権威のカタマリに描かれることが多いようです。でも、笑い者にしてばかりでは済みません。彼には悪の番人、そして目覚めた悪との戦いの司令官としての神に与えられた使命があるのです。 物語の後半は悪との決死の戦いが生々しく繰り広げられ、ションティクリアや動物たちの心の中の葛藤なども織り込まれて、目が離せません。ひねくれ者のイタチ、自己憐憫のカタマリの犬など個性豊かなキャラクターたちのそれぞれの心情の変化も、真に迫っています。 そして、滑稽に思えたションティクリアの時を告げる鳴き声(彼の「聖務日課」だそうです)が、皆の心を結びつけ、秩序を保ち、悪をおしかえします。 ちょうど先日、NHKの動物番組「ダーウィンが来た」お正月特集で、「原始時代、野生のニワトリは、闇の終わりと朝の到来を告げる鳴き声ゆえに、人間に価値を見いだされ家畜化された」と解説していましたが、まさにその通り。コケコッコーは闇をはらい光をもたらす呪術的な声なのです。 舟崎克彦『ぽっぺん先生と泥の王子』でぽっぺん先生こと鳥飼の埴輪が抱えていたニワトリは、ときをつくって闇の世界に夜明けをもたらし埴輪たちを目覚めさせます。また、ホープ・マーリーズ『霧のラッド』(主人公はチャンティクリア判事/市長)にも、 Before the cry of Chanticleer, (チャンティクリアの叫びの前に) Gibbers away Endymion Leer (エンディミオン・リアはぶつくさ逃げる) などとあり、訳者は「妖精はオンドリの鳴き声を聞くと逃げ出す」という伝説を紹介しています。 夜明けを告げ、闇や悪や迷妄をはらうコケコッコー。ニワトリって実はファンタジックな生き物だったのです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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