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カテゴリ:これぞ名作!
第25話は、珍しく、直前の第24話の続きのように読むことができます。
前段の最後で、手をつないで新しい世界を捜しに出かけた少年とパガド(手品師)が、冒頭「手に手をとって、ふたりが道を…」と登場。少年は生意気な坊ちゃんに、連れはジン(魔神)になっていますが、もともと少年というのは今からいろいろな人格を持つ可能性があるし、手品師は変身が得意と考えれば、それほど違和感はありません。 二人の探索行は試練を迎えているらしく、第21話の娼婦女王の統べる町のような、さびれた下町の通りにさしかかって、少年はその場所をいやがります。 楽園を捜すことに疲れた宇宙服の男を、通りの「慰安婦」が引き留めて、安らぎとひきかえに夢をあきらめさせようとし、道路掃除夫がそのことについて解説してくれます。 「あんたの知っている物語は…(中略)謎を解くことができる百番目の王子の物語だけなんだ。だがその王子のまえの九十九人の物語は知らんのじゃ。連中は謎が解けないので破滅する。で…(中略)この通りで終わるんじゃ」 --ミヒャエル・エンデ『鏡の中の鏡』丘沢静也訳 ここで『はてしない物語』の読者なら、「元帝王たちの都」というおそろしい一章を思い出すのではないでしょうか。空想の国ファンタージエンに来て望みのままに振る舞ううち、現実世界の記憶を無くして帰還できなくなった廃人たち。彼らこそ、「破滅した九十九人の王子」ですね。 話はそれますが、私は「夢は必ずかなう」的、安易な激励があまり好きではありません。スポーツでも何でも、成功した人がインタビューでよく、自分に続こうとする若者や子供たちなんかに、「あきらめないで、がんばって。そうすれば夢は必ずかないます(私のように)」と言っている、あれです。 あれは、成功者だけの真理であって、他の人の夢が実現する保証はどこにもないのですから。彼らは挫折者の存在を気にすることがないのでしょうか?・・・なんて、ひねくれたことを思います。 で、この話でエンデが言おうとしているのは、まさに、九十九人の挫折者について知るべきだ、ということです。少年がそれを知らされ、「あなたも?」と道路掃除夫にたずねたとき、私は改めて気づきます--彼は、第21話の娼婦女王の売春宮殿にいた灰色の老人ですね。あるいは、もう少し読むと、女王は「わしの女房なんじゃ」と言っていますから、乞食の王かもしれません(二人とも女王の過去/現在のつれあいで、同類です)。乞食の王は女王との恋に絶望し放浪の末、また戻ってきたのでした。また、灰色の小男は最後に女王の灯を消す役目でした。 二人とも成功者には見えません。しかし、挫折者であっても、自分自身のアイデンティティを失ってしまうであろう宇宙服の男とは、ちがいます。彼らは挫折体験の末、視野を広く持ち深く考えられるようになった人、コールリジの言う「a sadder and wiser man」(悲しみを体験してより賢くなった人)です。 斎藤淳夫『ガンバとカワウソの冒険』にも「悲しみを知れ、希望を捨てるな」という珠玉のメッセージがありますが、エンデがここで言いたいことも同じだと思います。そういう人こそが、よりよい未来をつくっていくことができるのでしょう:「苦しみは、あすの世界をいちばんあざやかな色でいろどるのだよ」--シーラ・ムーン『ふしぎな虫たちの国』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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