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カテゴリ:これぞ名作!
第27話は「俳優たちの廊下」が舞台で、出番(の衣裳)を待つ王様役の老俳優が主人公。前話の最後で登場人物たちが飛びこんだのが異次元の「廊下」でしたから、次の話(主人公は末路に至った独裁者=王様の一種ですね)とのつなぎという意味でも、幕間的な物語です。
これまでにもそういう話はあって、たとえば第5話も、幕が開き出番が来るのを(永遠に)待ち続けるダンサーの話。「待つ」に注目するなら、第3話の大学生も遺産相続人たちの永遠の話し合いを待ち続けていましたっけ。 人生の「途中駅」(第4話)で茫然と待たされてしまう体験。 このお話の老優も今はただ「私の衣裳」を待っており、それが用意されたら出番だ、というわけです。しかし、彼が劇のあらすじを語るのを聞いて(読んで)いくと、前半はすでに演じられた、というより、芝居ではなく現実のできごとだったのではないかと思われてきます。 なぜなら、クライマックスまで語ったあと、彼は、その次の展開はまだ演じていないので分からないと言うのです。つまりこれは劇というより、いま作られつつある歴史なのではないでしょうか。 「すべて世界はひとつの舞台。そしてすべての人間は男女とも役者に過ぎない」というシェイクスピアの名言を、思い出します。 そして、思い起こせば第6話の旅芸人一座は、「途切れることのない芝居」をやっていたが、かなめとなる言葉が欠けたので芝居を中断して、(人生を)旅することで「その言葉を書いている」のでした。 老優の演じてきた芝居も、途切れてしまっているのでしょうか。彼はちょうど中断した場面の姿(やつれて、馬衣を体に巻きつけただけ)でずっと待っているようです。 それにしても、彼の語るあらすじに合わせて、王衣やボロ服が運ばれたり持ち去られたりしますが、サイズが違ったり劇の時代に合わない服だったり。ふさわしい物は一つもないのです。 ユング心理学に「ペルソナ」という言葉がありますが、対外的な役割に合わせたキャラとか仮面とかいう意味合いです。この物語では合わない衣裳(ペルソナ)ばかり去来し、合うのは今まとっているごわごわの馬衣だけということから、彼の現状が中断した場面--絶望して天を呪ったあと奇蹟?が起こったがその意味は?! というところ--で停まっていることが推察できます。 たぶん、待っているだけでは奇蹟の意味は分からず、彼は好運を逃しそうな気がします。第2話から時々出てくる片脚の男(乞食、御者、負傷した消防士、そして玉座を負われた王)のイメージから連想すれば・・・。けれど最後には彼もふさわしい場所に行き着くかもしれません。 その「最後」の話が、おそらく第28話の結末です。 この話は、独裁者が革命によって追われ、最後に「父」(キリスト教の神でしょうか?)あるいは「母」(太母神でしょうか?)によって大地の子宮に戻される結末が語られています。 彼は正義を実現するために不正を為して権力を手に入れ、暴力を廃するために暴力を用いてきました。 戦争を不可能にするためには、戦争をするほかない。世界を救うためには、世界を破滅させるしかない。それが権力の真理だ! --ミヒャエル・エンデ『鏡の中の鏡』丘沢静也訳 おやおや、これは先日書いたセカオワの歌詞のようですね; 戦争を無くすため何回だって行う戦争 平和を守るため戦争を無くすためあなた方を処刑します 僕らの平和を守るため僕らの世代が戦争を起こします --SEKAI NO OWARI「Love the warz」 矛盾と自己撞着に満ちた「権力」や「正義」は、そうやって葬るしかないのでしょうか? 本当に葬ることができたと言えるのでしょうか? 「それは昔からある話。千回も繰りかえされてきた。だがだれもそれを信じない。そのためにそれはまた千回繰りかえされるのじゃ」 --『鏡の中の鏡』 悪い予感のエンディング。それは悪夢のような第29話に続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 21, 2017 10:38:34 PM
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