カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
しあわせな脚本家だ。
かくもひとりよがりの脚本に22人もの立派な役者たち+優秀なスタッフたちが全力投球してくれるとは。 若干の「ミュージカル仕立て」。小劇団・小劇団でもこういうことまでできちゃうんだ! という発見はあった。 役者さんのなかでは、濃い顔の哀藤誠司さんがよかった。 ゲイバーのママを演じていたのだが、気の入れ方と抜き方にヴェテランの味があった。 客席に置かれた案内に哀藤さん曰く ≪基本的にミュージカルには関わらない男である。 そんな男が誘われて今回、ほぼ12年ぶりに歌ったり踊ったりする舞台に立つ。 まあ…長い人生の一環としてこんな時間も面白いと思っている。≫ それぞれの役者さんにとってはひとつひとつのお芝居が人生のだいじな節目になっているのだから…… と、そんなことまで考えて観ていないとどうしようもないくらい、まるでおマセの大学生が書いたような未熟な脚本だった。 (↓関連サイト) http://peopletheater.moo.jp/index2.html 入れ子式のストーリー(以下、カッコ内に記名した役者さんたちはよかった!) 記憶を失って新宿ゴールデン街に紛れ込んだ女性(森脇由紀)を「かぐや」に見立てて、 スペースなよたけのマスター(蔀 英治)とその妻(夏 映子)がかしづく 劇中劇的な餡子があって、 その周りにゲイバーの面々やホステスたちが日常世界をかたちづくって そこにヤクザの兄貴(二宮 聡)と議員先生がからみ、 それらの入れ子がしょせんは現実から隔離された存在にすぎないのだとばかりに、 お月さまからのお迎えの代わりに、機関銃と爆撃が「かぐや」を奪ってゆく、 という脚本なのだが、 そういう骨組みに、未熟な文藝部員が字数合わせで散文詩のまねごとをまぶしたような脚本で、感動の「か」の字もない。 舞台に新宿ゴールデン街を標榜するなら、 せめてこんな青臭いことばの奔流ではなく、 物憂(ものう)さと含羞の色をつけてほしかった。 ヤクザの兄貴と議員先生も、リアリティからはほど遠く、 それならせめて笑いを取れよな、と思うのだが、ふんぞり返った脚本家さまにはサービス精神のかけらもない。 こんな脚本家に付き合う役者さんたちは、すべからく安穏(あんのん)を抜け出して面白みのないシナリオに叛旗を翻すべきではないのか。 少なくとも、それがこの脚本から読み取れる唯一のメッセージはないの? かくして 楽しみと言えば、舞台上でとびきりかわいい香坂夏希さん(若いホステスの牡丹を演じていましたが)を目で追うことだけだった。 (↓香坂夏希さんのサイト。舞台を見ていると、実力も十分。さらなるご活躍を!) http://www.feathered.com/talent/natsuki_k/index.htm (「脚本家」とだけ書いて実名を書かないのは、このブログがその方の名前の検索で上位に出てしまってご迷惑をかけないようにとの配慮です。 じつは演劇界では有名な大ヴェテラン。諫めることのできるひとがいなくなってしまったのだろう。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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