カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
「エクウス(馬)」は、ぼくにとって伝説のような演劇だった。
学生のころから何度か劇評を読んで、鮮烈な情念が渦巻く挑戦的な作品らしいというイメージがふくれあがっていた。 観たことがないことにコンプレックスのようなものさえ感じる、そんな作品だった。 日本初演は昭和50年(1975年)、いまのパルコ劇場(渋谷)で。 ぼくが16歳、高校1年生のころだ。 その作品をようやく観ることができた。 折々働きにきていた厩舎で、ある夜、6頭の馬の目を錐で突き刺した17歳の青年アラン・ストラングと、 心を閉ざすアランの扉を開こうとする精神科医マーティン・ダイサートが ことばでまさぐりあい、からみあい、ののしりあう。 舞台はその闘いのリングになる。 茶色のシャツとズボンにメタリックなかぶりもの。 その装束で直立することで、シンプルだが驚くほどリアルに表現される馬たち。 青年アランは過去を語り始める。 厳格さで世俗心を覆い隠す父親、信心とおもんばかりを押しつけてやまぬ母親。隠微なまさぐりあいへと誘う、ちょっとふてぶてしい厩舎の女…… それぞれのシーンが舞台上で簡潔に再現されてゆく。 わかりやすい劇だ。 劇団四季の宣伝は ≪現代社会における問題を浮き彫りにさせるテーマ≫ というけれど、そうではなくていつの時代にもある普遍的テーマと思えた。 青年アランと、彼を誘惑する女性ジル・メイソンは、納屋で衣服をすべて脱ぎ捨て、薄明るいスポットライトの下に立ち抱擁する。 その場面にきて、「あぁ、そういえばこの劇は全裸シーンがあるのだった」と思い出したが、 映画「バベル」と同じく「エクウス」の全裸にも必然性があって、無言がテンションを瞬時に無限大まで高める。 そのテンションのなかで、ジルを演じる田村 圭さんのまろやかな白い胸が、ほっとするうつくしさだ。 青年アランを演じる望月龍平さんが全裸で高く跳びながら6頭の馬の目を突き刺すシーンの緊迫に、ストレート・プレイの醍醐味を感じた。 「満たされぬ性」を核にして、さまざまな煩悩が軌道を周回する人間性。 精神科医自身もまたその軌道周回者のひとりであることが、この戯曲を近しく感じさせてくれる。 ステージの上にも客席が設けられていて、その席を予約できた幸せ者は俳優さんのオーラを身近に浴びることができる。 かなうならもう1度観たいと思った。 8月4日までの今回の公演は無理だが、再演時にまた観に行こう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jul 16, 2007 10:47:17 PM
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