カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
借金の当(かた)の人肉1ポンドをあくまで求めるシャイロック役の市村正親(いちむら・まさちか)さんのインタビューの呟きにくすっとわらった。
≪そう言えば今、思いついたんだけれど、肉1ポンドは男性の性器くらいの重さだそうだから、アントーニオをからかっている冗談として考えてることも出来るよね。 最初は「胸の肉」とは言っていないのだから。≫ ムフフ、男のイチモツが1ポンドの重さに達するのは、びんびん固くなっちまったときさ。 人間の諸器官のうち、男のイチモツほど変幻自在の重量物はあるまいよ。 さて、その市村正親さんのシャイロックがぜひ観たくて9月12日に天王洲・銀河劇場へ行った。 市村シャイロックは、単なる金銭亡者とはほど遠い。 理不尽な差別におろおろとし、おののきを振り払いつつ、「普通の人間ならここまでやられたらこうやり返すものさ」と、キッと見上げてみせるのだ。 シャイロックを座標軸の中心にしてしまうだけのパワーをもつ市村正親さんにかかると、「ヴェニスの商人」の他の役どころこそ悪役・道化役・チョイ役と化す。 そのくらい納得性のある役作りだった。 こうなったら、市村シャイロックにはここまでやってもらおうか。 わが想像上の劇場で ―― 悪役ポーシャが化けたインチキ法学者に 「1ポンドの肉を切り取るとき、血を1滴でも流してはならぬ」 と言われたところで 「勿論じゃとも。棲家(すみか)はヴェニスの片隅に押し込められておっても、遠く印度に由来する無血切除の術を心得ておるわ」 と言い放ってアントーニオの胸ふかく短剣を刺す。 噴き出す血しぶき。 そして 「そなたも人間、わしも人間。およそ世の中に不可思議などないのだよ」 が、シャイロックの最期のことばとなる。 ――(想像劇場おわり)―― 寺島しのぶさんのポーシャ。藝達者。 気位高き貴族女性と一計を案じた法学者を適度なコミカルさも交えながら演じ分けてくれて、安心して観ていられた。 そして、このお芝居の集客の核になっている藤原竜也さん。 ポーシャの心を射止めるバサーニオを演じるとともに、同様にポーシャに求婚するモロッコの黒人の大公とスペインの老いぼれ貴族も演じるのだが、 バサーニオ役は若くさわやかな藤原さんの地(じ)が出すぎていて(藤原ファンにはたまらない魅力だろうけど)わたしにはちょっといただけなかった。 恋するポーシャの寺島さんや無二の親友(シェークスピアの設定では“ホモ”ダチ)の西岡徳馬さんの年齢に合わせて、もうちょっと老(ふ)けたバサーニオを演じてほしかった。 藤原バサーニオが若すぎるので、すでに落ち着いたお歳の寺島ポーシャとのラヴシーンが、むずむずするような居心地の悪さなのだ。 じつは舞台で演じているご本人たち自身が居心地の悪さを意識しているようなオーラが感じられた。 スペインの老いぼれ貴族の役作りは絶品で(絶品すぎて「スターかくし藝」めきかねないが)、これほど年齢を飛び越える術も知っておられる藤原さんなのだから、バサーニオ役ももう少し重厚にやれたのでは? (そうすると、ファンの期待を裏切ってしまうか……。) あるいは 藤原竜也さんをバサーニオ役にするなら、それに合わせてポーシャ役を新妻聖子さんあたりにするとか(これまた贅沢……)、配役のバランスを考えられなかったものか。 これはもう俳優さんや演出者の問題ではなく、役者さんの組み合わせを考える制作側の問題のように思う。 違和感といえば、バサーニオやアントーニオに現代風の背広姿をさせているのも賛成できない。 他の役者さんにはそこそこ時代設定に合わせた格好をさせていただけに、主役級の背広姿は浮いていた。 演劇空間らしく衣装にも統一感が欲しい。 gamzattiさんが書かれた(わたしとちがって)正攻法の劇評があるのでご紹介しておきます。 http://plaza.rakuten.co.jp/gamzatti/diary/200709070000/ 公演は9月30日まで。 (↓ 公演関連サイト) http://gingeki.jp/special/venice.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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