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カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
八田與一(はった・よいち)さん、と「さん付け」で呼ぶことを許していただきたい。
八田さんの生涯を描いたアニメ映画 「パッテンライ!! ~ 南の島の水ものがたり」 のことを、この配信誌やブログで何度か取り上げてきた。 予告篇が、こちらで観られる: http://www.hokkoku.co.jp/pa-tenrai/ 昨夜、念願かなって東京・新宿の「シネマート新宿」で観た。 すくなくとも5月22日までは上映される。 客の入り次第では放映延長の可能性もあるそうだが、5月13日の夜の部は、観客が大ホールに20名ほどだった。 お急ぎ足をお運びください。 サラリーマンにもうれしい、夜6時50分開演の回があります。 ■ 技術者の快活 ■ 八田與一さんは、明治19年(1886)生まれの金沢のひと。 時代をはるかに先んじた構想力を、当時最先端の土木技術で実現に導いた。 日本統治下の台湾の南部に当時東洋一の灌漑ダムの建設を企画立案し、巨額の国家予算も獲得して、昭和5年(1930)の竣工まで陣頭指揮した土木技師だ。 明治43年(1910)に東京帝大を卒業してすぐ、台湾総督府の土木部工務課で勤務を始めた。 技術の夢とちからで幸せを築くのに日本人も台湾人もない、という技術者の快活が桁はずれの自負を支え、難事業の推進へ人々を結び合わせた。 その功績をたたえる記念公園を整備する計画を、台湾の馬英九大統領が発表した。 『北國(ほっこく)新聞』(本社・金沢市)が ちょうど5月13日に社説でこのことを取り上げているので、コラム後半に転載させていただきます。 * 冒頭にご紹介した予告篇は、昨年から何度も見た。 一青 窈(ひとと・よう)さんの歌うテーマソング「受け入れて」が背景に流れるなか、歴史書の向こうのひとだった八田與一さんが動き出すのを見て、涙が噴き出しそうになった。 これはもう映画の開始から感動の涙でぐしょぐしょになってしまうのでは……と予感しながら映画館に行った。 ■ ケンカしながら成長する本島人と内地人の子供 ■ どんな批評を書こうかと考えながら観るうち、じつは映画の半ば近くまできて、困ってしまったのである。 最近は大人向けのアニメも多いので自分もすっかりその感覚で、八田與一さんの生き方を追う大人向けのストーリーなのだろうと何となく想像していた。 しかしこのアニメ映画は、見たところ小学5年生から中学2年生あたりがターゲットだ。 内地から来た辻ススム君と台湾農民の子の徐英哲(じょ・えいてつ)君がケンカもしながら成長してゆく姿がメインの筋書きになっている。 とくに前半は、八田與一さんの姿はどちらかというと脇スジだ。 怪訝(けげん)な思いで観つづけたところ、大正11年(1922)に烏山嶺(うさんれい)隧道(ずいどう=トンネル)のガス爆発事故で辻ススム君の父親を含め50名余りの死傷者を出すところで山場がくる。 技術のひとであればなおさら、自分を支えてきた技術のちからで数多くの犠牲者が出たのを見て、さすがの與一もすっかり気落ちする。 工事にたずさわってきた台湾人らから「工事を続けよう」と声があがるというのが、ものの本で読んだ筋書きであったが、この映画では辻ススム君の淡々として力づよい一言が與一の後押しをする。 ここが、いい。 ■生きている八田與一■ 徐英哲君も辻ススム君も、それぞれに子供のときに抱いた夢を実現するのだが、その道はけっしてまっすぐではない。 それぞれに、あきらめざるをえない局面に何度も置かれながら、乗り越えて立派な青年となる姿がすがすがしい。 そうだ。 なぜ八田與一さんがド偉い技術者となれたのか。 おそらく十分な伝記資料がなくてストーリーにできない八田與一の青年ぶりが、徐英哲・辻ススムのふたりに託されているのだ。 青年の夢を抱き、その炎を絶やすことなく実現に邁進(まいしん)した八田與一。 その姿は八田與一さんだけのものではない。 我々ひとりひとりの心意気に、それぞれの「八田與一」がある。 そういう意味でも、八田與一はいまも生きている。 この映画のメッセージは、きっとそういうことなのだ。 夢と現実の狭間(はざま)にいるひとの背を後ろから押してくれる映画だ。 ■ 台湾に八田與一記念公園ができる ■ 映画がおわるころ、幾人もの人生がダブりつつ、静かだが確かな感動に包まれた。 一青 窈さんの「受け入れて」とともに、いまも豊かに水をたたえる烏山頭ダムの実写映像が流れる。 八田技師夫妻のための墓前法要のシーンが淡々と流される。 目が赤く腫れてしまった。 = = 『北國新聞』 平成21年5月13日 社説 ≪台湾に「八田公園」 地域間交流の大きな果実 台湾の馬英九総統が金沢出身の土木技師、八田與一夫妻の墓前祭で、烏山頭(うさんとう)ダム建設に尽くした功績をたたえる記念公園の整備計画を明らかにした。 金沢から毎年墓前祭への参加を続けるなど、八田技師を通した両地域の地道な交流がはぐくんだ果実といえ、次世代の交流に新たな道を開くうえでも大きな意義がある。 計画の詳細はこれからだが、台湾における八田技師の足跡を後世に伝えるとともに、日本と台湾双方で交流の担い手を育てる場としてぜひ実現させてほしい。 台湾では戦後、日本人の顕彰は「植民地時代の正当化」とみなされ、日本人の銅像などが廃棄される時代があった。 そのなかで唯一残ったのが八田技師の銅像である。 烏山頭ダムの恩恵に感謝する地元住民らが墓前祭を続け、そこに八田技師の地元である金沢の人たちも加わった。 記念公園の具体化はそうした付き合いの延長線上にあり、正式な国交のない日台間で民間レベルの交流が果たす役割の大きさを示している。 大きな顕彰事業が台湾総統の肝いりで動き出すことは、過去の経緯を振り返れば感慨ひとしおである。 烏山頭ダム近くには建設当時の宿舎や八田家が暮らした家屋が朽ちた状態で残っている。 計画では4棟を復元整備して関係資料などを展示し、2年後に一帯を記念公園としてオープンさせる。 台湾は今年を台日特別パートナーシップ促進年に位置づけている。 公園計画には、日本に批判的とみなされてきた馬総統が対日重視の姿勢をアピールし、日本からの観光客誘致につなげたいという狙いもあろう。 日本との関係強化は歓迎するとしても、せっかく整備するからには、台湾の日本語世代を中心に語られてきた八田技師の志や功績を現地の若い世代に引き継ぐ場としての活用も期待したい。 今年の墓前祭には八田技師の母校、花園小の児童も参列し、技師の賛歌を披露した。 児童にとっては日本で思っていた以上の技師の存在感の大きさに触れ、生涯忘れ得ぬ貴重な体験になったに違いない。 八田技師を縁に新たに動き出した取り組みやそれを担う次世代の交流を大きく育てていきたい。≫ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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