カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
5月30日に観て、はまった。
英語の原作本(英国の中高生向けの注釈つきの本)と英語の公演CD、和訳本を買い込んでしまった。 日生劇場で観たミュージカル 「ベガーズ・オペラ」 のような楽しさ。 同じジョン・ケアード (John Caird) さんが演出し、同じイローナ・セカッチ (Ilona Sekacz) さんが音楽を担当しているから、自ずと通じるものがある。 貴族の邸のオモテ世界と、妖精うごめく森の世界、そしてバカバカしい中身が演出の工夫しだいでグッと活きる劇中劇。 舞台で妖精「豆の花ちゃん」(神田沙也加さん演)が歌いだすと、すっかり帝劇ミュージカルの世界だ。 シェークスピアの原作を見ると、そのくだりは歌にするよう指示が付いている。 あぁ、ミュージカルへと流れる河のひとつは、シェークスピアの泉から湧き出していたんだ。 gamzattiさんの劇評 に、劇中劇の演出の絶妙さを分析してあるので、引用させていただく。 ≪もう一つ、この舞台で特筆すべきは、「劇中劇」の成功である。 「真夏の夜の夢」というお話は、妖精世界のオベロンとティターニア夫婦のいさかいと 人間世界の三角関係・駈け落ち・ストーキングという2層から成っていて、一夜、森の中でそれらが交錯しあうのだが、最後にめでたく3組の人間男女は結婚式を挙げる。 そこで終わりと思いきや、 「結婚式が終わってから初夜の新床までの3時間が長いから、お芝居でも見て気を紛らわそう」 という趣向で、劇中劇が始まる。 これが、たるい。通常なら「なくもがな」のタルい芝居。 それなのに……。 面白かったのである。楽しかったのである。 その芝居を見て野次ったり、笑ったり、涙を流したりするヒポリタやらシーシアスやライサンダーと同じように、私もとっても楽しめた。 それはなぜだろう。 一つは舞台のしつらえだ。 なんと、主たる俳優たちが椅子をもって舞台を降り、私たち観客に背を向けて、一列目のお客さんと舞台の間に座った。 麻実れいも村井国夫も、振り向いて後ろのお客さんに声なんかかけながら 「これから一緒にお芝居見ましょうよ」 っていう感じ。 そのリラックスした雰囲気が、祝祭的な気分を醸し出したのだろう。 もう一つは、役者の力だ。 特に、ボトム役の吉村直。彼の、芝居のことはすべてに通じているといった懐の深さと明るくて太い声の大きさは、見る者すべてを引き込まずにはいられない。 一方で大まじめにシェイクスピア俳優であり、一方でめっぽうおどけた三枚目。 そして、最後はやはり演出家ジョン・ケアードのコンセプト。 この「劇中劇」が「なぜ」必要なのか。シェイクスピアが「芝居」に託したあれ・これ・それ。 彼はそこをしっかりつかまえている。≫ この舞台を見て、シェークスピアの作品群を本気で読んでみようと思った。 その意味で、ぼくの人生をまたひとつ変えてくれた公演だった。 あっという間に、6月14日の千穐楽が来る。新国立劇場・中劇場にて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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