市村正親(いちむら・まさちか)さん主演 「炎の人」 の終演後、6月17日は特別イベントとして 「会場の5名さまに抽選でひまわりの花束を市村さんからプレゼント」。
市村さんが最後に挨拶をなさったので、記憶が薄れぬうちに……
「本日は、『炎の人』 公演においでいただきありがとうございました。
三好十郎・作 『炎の人』 は、前からやりたいと思っていたお芝居でした。
ふだんはミュージカルをなりわいにしておりますが、いいお芝居は、ミュージカルも芝居もいいものです。
わたしもゴッホに倣って、といっても絵を描くわけではなく芝居のほうですが、芝居に一生懸命集中して人生を全うして、、あ、ここは笑うとこですけど (会場笑い)、気の狂った役者になっていければと思います」
ロビーの装飾も ひまわり尽し
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「炎の人」 は、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの25歳から37歳までの疾走を描く。
25歳、福音伝道学校の見習いとしてベルギーの炭鉱町で伝道するが、労働者の惨状を見かねて身を削り、あげくに解任される。
どん底への入り口 (第1場)。
ハーグに出て、娼婦シィヌをモデルとしつつ同棲する。
絵は売れず、弟からの仕送りで暮らすどん底の生活 (第2場)。
パリで弟の家に居候の日々、美術商ではゴーガンやロートレックらとも鉢合わせるが、妥協できぬ性格が議論を破壊する (第3場)。
第2幕は、フランス南部のアルルの日々だ。
舞台は銀幕と化して、ゴッホのアルル時代の作品が投影されながら、市村ゴッホの独白がつづき、
やがて、道に倒れたゴッホが現れる。
画家ゴーガン (=ゴーギャン)、娼婦ラシェルと交錯しつつ、錯乱してゆくゴッホの時間。
さいごの場は、サン=レミの精神病病棟の一室で、耳に包帯をし、静かに絵筆を執るゴッホ。
舞台も絵画的だ。
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市村正親さんのゴッホは、動きは静かなのに、始終うごきまわっているような錯覚を与えてくれる。
ゴッホに成り変ったたましいが市村さんを離れて舞台をうごきまわり、それを市村さんの皮袋が静かに追っているのだ。
同じ銀河劇場で見た 「ヴェニスの商人」、市村さんのシャイロックも、観るものを引き込み共感させる吸引力があった。
今回の市村ゴッホもまた、脈絡のぶっ飛んだ錯乱の姿さえ、観るものに納得感を残す。
心優しさのあまりに生まれる激しさ、その両面性を市村さんの “気” がひとつに包み込む。
市村さんの気が、舞台を這い回り浮遊する。
荻野目慶子さんが第1幕と第2幕で演じ分ける、影の化身のような娼婦シィヌと陽の化身のような娼婦ラシェルも、舞台に分身を浮遊させるかのような凄み、吹っ切れがある。
ロビーのドリンクも ひまわり尽し
(東京天王洲の銀河劇場で6月28日まで。その後、7月4~5日に新潟、7月11~12日に名古屋、7月18~19日に大阪で上演)