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カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
ロシア語原題の Спаси и сохрани は直訳すれば 「救え、そして、保て」。この題の意味は何なのだろう。
日経10月2日の夕刊 「シネマ万華鏡」 で中条省平さんが 「異形の傑作である」 と5つ星をつけた。 ≪万人向けではないが、全編、たがの外れたような過剰さにあふれ、見る者を圧倒する。≫ ≪たえざる蠅の羽音、耳を聾する馬車や機械の轟音。わめき散らすエンマ (主人公の女性ボヴァリー夫人のファーストネーム) 。音響設計も常軌を逸している。 好き嫌いをこえて、トンデモない映画である。≫ ここまで言われたら、観ないわけにはいかない。 「たがの外れたような過剰さ」。とつぜん踊りが始まるインド映画の楽しさだろうか。ミュージカル映画 「ムーラン・ルージュ」 の派手派手しさだろうか ……という期待は、あまりに甘かった。 まさに 「異形」 で 「万人向けでない」 「トンデモない映画」。 黒澤 明監督作品の 「どですかでん」 を思い出した。 原作小説 『ボヴァリー夫人』 を先に読んでから観ていたら、頁をぱらぱらめくるように入り込めたのかもしれないが、原作のストーリーを知らずに観たので ところどころスジがすっ飛んでいるのに付いていけなかった。 すっ飛んでいるのは理由がある。 もともと平成元年に167分の映画として作られ、崩壊するソ連で小規模公開された。 それを平成21年になってアレクサンドル・ソクーロフ監督自身が128分の映画に再編集した。 スジを多少すっ飛ばしつつ39分間縮めたのも納得。 基調は、地味で退屈な映画なのである。ハリウッド映画のサービス精神はゼロだ。 あと39分も長かったらと想像しただけでぞっとする。 * しかし、やはり、観てよかった。 最近観る数が増えて、ほとんどの演劇・映画は 「実況リスト」 に短評を書いて済ませているが、この映画はそれでは収まらない。 エンマと夫シャルルの食事のシーンは、見るからに何十匹もの蠅を放って撮っている。 顔に、腕に、蠅がたかるが、シャルルは薄ら笑いを浮かべながら林檎をかじりつづける。 唐突に、何の脈絡もなく、ふたりは薄暗い部屋で昆虫のように重なり合っている。 ことばも、愛欲のうめきもなく、フィルムの荒い粒子が男と女の肌に黒々した毛羽(けば)を生やして、まるで顕微鏡のレンズの向こうで2尾のダニがうごめいているようだ。 中条省平さんが批評に及んだ 「映画史上ほとんど初めて」 の性描写とは、そういうセックスだった。 ≪この映画のシャルルはロシアの大地から生まれた野獣のような相貌。 冒頭近く、この夫婦が演じる 性 行為がすさまじい。 映画史上ほとんど初めて、虚飾を排した即物的な性描写が実現されたことだけでも、この映画は驚異だと思う。≫ 主演のセシル・ゼルヴダキさんはフランスのグルノーブルに暮らすイタリア系ギリシア人で、はたち過ぎのふたりの娘がいるという。 銀幕上の彼女は男の前でつぎつぎ唐突に裸体をさらすが、止むことのない蠅の羽音のBGMが流れるなか、誰が 勃 起しよう。 妖艶からは縁遠い。 台所の隅に忘れられた果物のうつくしさ。 だから彼女を感じさせてやりたい。気持ちよくしてやって、かわいさを引き出したい。 男をそんな気にさせる女だ。 青年レオンとのゆっくりとした密会シーンでは、男の全身が正面から写るが、映倫は 性 器をぼかさなかった。 ぼかしていたら、その ぼかし が滑稽で観るに堪えなかったろう。 なにしろ密会のあいだも、蠅の羽音が続いているのだ。この全裸はポルノの対極にある 「たがの外れた過剰さ」。「好き嫌いをこえて、トンデモない映画」だ。 (11月末まで、渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 13, 2009 07:33:07 AM
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