テーマ:政治について(20114)
カテゴリ:中 国 界
小沢一郎氏に対していかに多くの人がそれぞれに怒りに震えているか、自民党の 石破 茂さんのブログ(12月14日) への書き込みを読むと、よくわかる。
<以下、12月15日のわが配信コラムを転載します> 小沢一郎氏は公職としては政府から給料をもらう一代議士である。新人議員と同じ。 政府から補助金をもらう私党のなかではエラくても。 小沢一郎氏は、憲法上はヒラ議員である。 それでも、「小沢政権」 と書かねばならぬ悲しさ。 むかし、中曽根政権のことを 「 『角栄政権』 ならぬ 『角影政権』 だ」 と批判しつづけた新聞があったが、あのころはまだ 「影」 で済んだ。 いまは影の人であるべき本人が白昼堂々闊歩する。 * 広東省のある街。発電プラントの契約交渉は1ヶ月以上も続いていた。 「もうこれ以上は値引けない。既に大赤字だ。これを客先幹部に、よく伝えてもらえないだろうか」 中国人エージェントにわたしの上司が懇願したとき、エージェントは憤然として言い放った。 「日本人は、何かといえば 『赤字受注だ』 『ここは損をしてでも』 と言う。 中国人は黙って聞いているが、誰もそんなことを信じていない。 ほんとに赤字で、ほんとに損をするなら、やめればいいのだ。 どんな苦しい契約でも、それでも得をするから契約するのだと、中国人は考える」 ■ 会ってトクをするから…… ■ 中国の習近平(しゅう・きんぺい)国家副主席に天皇陛下への拝謁を特例で許したことで、中国政府が日本政府に恩義を感じるであろう、などと甘っちょろいことを考える向きがある。 恩義など感じるものか。 わが習近平閣下が天皇陛下と会見することで日本側も大いにトクをするから、会見が実現したのである。 日本側に益がないのに会見させろとまでゴリ押しした覚えはない。 中国側はこういう、さばさばした感覚でいるはずだ。 * 中国で驚くことのひとつは、共産党の高位の幹部にわが国のお偉方を会わせようとすると間々、会見料の支払いを要求されること。 (常にというわけではない。) こんな国はまれだから、たいていのひとはこれを聞いてびっくりする。 会ってトクをするから会いたいのだろう。トクをするなら会見料を支払っても当然だ。 これが即物的な中国流の考え方。 ■ 民主党の会見料は? ■ 小沢一郎幹事長の訪中団は、民主党国会議員143名を含め総勢600名を超える異例の規模だった。 商談でもなく、政府代表でもない。 交渉ごとでもない。 民間政治団体がぞろぞろと、胡錦濤国家主席と握手写真を撮りに来た。 常識で考えれば中国側にとって迷惑な話である。 これが政府代表であれば、会見料を取るわけにもいくまい。 商談なら、そこで経済的利益が得られる。 しかし民間政治団体が親善と称して、必要度をはるかに超えた規模で来訪するとなれば、会見料を取るのがふつうの感覚だ。 民主党はいくらくらい払ったのだろう。 もちろん、いろんな支払いの方法がある。 ■ 友愛ではなくギヴ・アンド・テイク ■ わたしが中国の外交部 (外務省) の官員なら、習近平副主席の天皇陛下拝謁実現を日本政府に泣きつくにあたり 「いくら支払えば実現できるのか?」 という言葉がノドちんこをうろうろするだろう。 さすがに外交折衝で 「拝謁料」 はなかろうけれど、民間団体の大番頭として北京詣(もう)でに来る客人に、拝謁実現のための骨折りを頼むとすれば、骨折り料を支払うのが人倫の道というものである。 なにかとモノ要りの選挙もあることでしょう、と札束が動いたとは思わないことにするが、ギヴ・アンド・テイクが成立したのは確かである。 世の中は、友愛ではなく、ギヴ・アンド・テイクで動くのだよ、鳩山さん。 小沢一郎氏が何をテイクしたかは、本人と側近のみぞ知る。 このモノ要りの折、おつりが来るから大訪中団を組織したのである。 繰り返し言うが、わたしは、小沢一郎氏に札束が渡ったなどと断言しているわけではない。 世の中には、いろいろ巧妙なテイクの方法がある。 陛下を文字通り政治利用した男の、けがらわしさ。 ■ ルール破りが権力を証明する 「人治」 の世界 ■ 「中国は法治の国でなく、人治(じんち)の国だ」 と、よく言われる。 人治とは何か。 法律やルールがないわけではない。 法律やルールをあえて曲げて、特例を通すことが権力の甲斐性(かいしょう)と見なされ、賞賛され、期待されるシステムが、「人治」 なのである。 外国要人が天皇陛下に拝謁を望むとき、日本の外務省が宮内庁に1ヶ月前までに要請できるよう前広(まえびろ)に申し入れをしなければならないことは、中国政府も当然知っていた。 これを尊重するのが、すなわち日本国と皇室への最低限の敬意である。 「1ヶ月ルールは内規にすぎず、杓子定規にふりかざすことはない」 などという向きがあるが、12月15日の拝謁希望を中国側が申し入れたのが11月26日。 わずか19日前である。誤差の範囲にあらず。 要は、わが国と皇室をなめ切っているのである。 しかし、人治の国の価値観からすれば、ルールを破るところに権力の甲斐性があり、ルールを破りとおせるかが権力の証明となる。 ■ 「胡錦濤より格下ではメンツにかかわる」 ■ 日経12月12日1面の報道によれば、 ≪中国側が会見を打診したのは11月26日だったため、外務省はいったん断った。 ただ中国側は胡錦濤国家主席が1998年の副主席時代に陛下と会見した例を引き合いに強く要望した。≫ 我々の常識からすれば、11年前の胡錦濤氏の来日と今回は別の話だろ、ということなのだが、中国人の「面子(メンツ)」の概念は、いじましい。 胡錦濤副主席(当時)が拝謁できて、習近平副主席が拝謁できないとなると、習近平氏のほうが 「格下」 であると天下に示すことになるからメンツをつぶされる、沽券(こけん)にかかわる、というわけだ。 おそらく習近平氏は天皇陛下に拝謁する興味などさらさら無かったのだが、11月20日も過ぎたころに誰かが 「胡錦濤の格下になっては、メンツにかかわる」 と言い出したのだろう。 ■ 「胡 耀 邦 より格下ではメンツにかかわる」 ■ 日経記事を読みながら思い返したのが、靖國神社のことである。 拙著 『中国人に会う前に読もう』 187~188ページに、こんなことを書いた。 ≪日本の首相の靖國神社参拝を中止させるだけの力量があるかどうか、ということが、中国共産党を指導するトップの権威を左右する踏み絵とされました。 胡耀邦(こ・ようほう)政権は、中曽根政権に泣きつきました。 「中曽根さん、あなたが靖國神社を参拝すると、開明的な胡耀邦政権がつぶされてしまうんです」 中曽根首相は、中国への内政干渉を決意し、靖國神社参拝を大見得切って断念してみせることで胡耀邦政権を支えようとします。≫ ≪さて、そうすると胡耀邦に続く指導者たちは、日本の首相に靖國神社に参拝されてしまうと、 「胡耀邦より格下、格オチだ」 という烙印を押されることになります。 江沢民も、胡錦濤も、小泉首相に靖國神社へ参拝されることで、党内では「胡耀邦より格下、格オチのダメ男」として誹(そし)られてしまう。 これは何としても避けなければならないわけです、彼らにしてみると。≫ ■ 日中友好を望むなら ■ 習近平氏の取り巻きのゴリ押しといい、小沢一郎氏のコソコソした傲慢といい、こうして補助線を引いてみると実にわかりやすい。 末永い日中友好を望むなら、習近平氏の今回の拝謁願いに対しては “有 規 定 !” (ルールがあるから、ダメ。) と言って断り続ければよかった。 次から中国要人が来日するときは、習近平氏に倣って何かルール破りをしないと 「習近平より格下、格オチ」 と、共産党内でそしられることになるのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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