第1次毛乱政災(=大躍進)期に、なぜ大規模反乱が起きなかったのか
中国の「大躍進」のことを、ぼくは「第1次毛乱政災」と呼びたい。毛沢東の乱による政治の災いの意。「第2次毛乱政災」は文化大革命だ。「大躍進」にせよ「文化大革命」にせよ、その悪魔的実情に比べて呼称の語感が良すぎるのである。楊継縄・著『毛沢東 大躍進秘録』はつくづく衝撃の内容だった。なぜ第1次毛乱政災期に大規模な反乱が起きなかったのか、この本に全ての答えがあるわけだが、別途 近代中国文学が専門の藤井省三さんによる分析を読んで、なるほどと思ったので、転記しておきたい。『中国の村から 莫言短篇集』(JICC出版局、平成3年刊)の解説に、訳者・藤井省三さんが書かれたものだ。≪中国史は農民反乱の歴史でもあるが、大躍進期にはなぜ大規模な反乱が起こらなかったのだろうか。2つの理由が考えられよう。1つには、歴代王朝の直接支配が全国に1,500~2,000ある県レベルにまでしか及ばなかったのに対し、中共政権は人民公社の下の生産大隊にまで共産党支部を設け、自然村のレベルにまでその支配を貫徹した点である。人民公社は1958年に全国に24,000社(平均5,000戸)設けられ、2~3年の調整を経て1962年には54,000社(平均2,000~3,000戸)に改編、1980年代初頭に解体されるまで続いた。人民公社は十数個の生産大隊に分かれ、生産大隊はさらに十数個の生産隊(平均20~30戸)に分かれる。生産大隊レベルにまで共産党支部が置かれ、党支部書記が大隊の実権を握っていた。単純に計算しても、中共政権は歴代王朝よりも100倍以上の密度で農民を支配していたと言えよう。もう1つの理由として、反政府活動の核となるべき人材が農村から消失していた点を挙げられる。農民を組織する力量のある者――それは富農、中農などの自営農民であろう。中国文学者の張志忠は、反抗と経済的地位の関係について、示唆に富む指摘を行っている。【張志忠からの引用はじめ】反乱の旗揚げをするにせよ、山に籠って王を称するにしても、先頭に立つものの大多数は小生産者(自営農民と小手工業者)または農民の富裕層であって、貧困のどん底にある者ではない。経済的地位、階級的属性というものは、必ずしも貧しければ貧しいほど革命的になるというものではなく、逆に経済的地位と同じくらい重要なのがその人の社会的地位であり、個性と指導力である。『水滸伝』の梁山泊で蜂起する108人の豪傑には、ひとりとしてどん底の貧者はおらず、ほとんどが小地主であり、下級軍人、小手工業者である。【引用おわり】しかし人民共和国にあっては、土地改革により彼らは撲滅されていたのである。≫つくづく、共産党支配というのは、社会主義や共産主義の美名をかたって成り上がった者らが、対抗勢力を巧妙に殲滅することから始まるわけだ。今日の中国では、報道は少ないものの年に10万件以上の大規模反乱が起きては鎮圧されているが、それはつまり中国国民が貧困のどん底からは這い出たから、ということなわけだ。