カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
朗読やひとり芝居を、自己充足=自己満足のための格好(かっこ)つけの場にしたら、誰の心も揺さぶれない。そう知らされた。
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)さんの 『俳優になりたいあなたへ』 (ちくまプリマー新書) を読んで、貴重なことを教えられた。 第2回の読書イベント (平成20年11月15日) のとき、吉屋信子 『鬼火』 を朗読したのだが、期待したほどウケなかった。 自分ではウマく読んだつもりでいたが、ある参加者からは 「なんかこう、恥ずかしがって読んでいるみたいというか、はにかみの幕ができてしまっているというか。自分をぱっとさらしていないんだなぁ。じつは、声もよく聞こえなかったし」 と言われた。 自己満足を求めて格好をつけていたことを、見透かされた。 鴻上尚史さんは言う。 ≪いろんなメディアに共通した俳優の仕事はね、一口で言うと、「作家の言葉を、観客や視聴者に伝えること」 なんだ。とにかく、作者の言葉をそのメディアの受け手に届けるってことだね。 伝えるものは 「俳優自身」 じゃなくて、「作者の言葉」 なんだ。≫ ≪「作者の言葉」 を効果的に伝えるために、俳優は、「役」 を演じるんだ。つまり、「役」を演じるとは、「俳優自身」 を見せることじゃなくて、「作者の言葉」 をちゃんと伝えることなんだ。≫ (37~38ページ) ≪演じることは、自分の一番恥ずかしい部分、隠したい部分をさらけ出すことなんだ。 君は、心を許した人の前でしか見せない表情、動き、喋り方を、大勢の人の前で見せないといけない。それは、とても恥ずかしいことだし、傷つくことだ。≫ ≪普通の人なら、大勢の観客やテレビカメラの前では、思わず気取ってしまう、守ってしまう、かっこつけてしまう。 でも、そうなれば、観客は敏感に感じる。 「あ、この人、心を許したふりをして、じつは心のシャッターを下ろして会話している」と分かる。 観客にそう見抜かれたら、君がどんなに誠実なセリフを語っても、観客は感動しない。≫ ≪心の扉を閉じないで、解放された精神状態のままでおこなうんだ。つまり、俳優は、率先して、深く傷つくことが必要な職業なんだ。≫ (118~119ページ) 人物の性格を台本から抽出して役づくりするとともに、全員が一緒になって走っていく目標としてのテーマを抽出する。 ≪「若さは素晴らしい」 が 「テーマ」 なら、このセリフは熱っぽく語られる。負けるもんかっという匂いを入れてもいいだろう。 「若さはもろい」 なら、このセリフは、どこか神経質でこわれ物の匂いを漂わせた語り方になるだろう。やがて死の予感に怯えていてもいい。 だから、「テーマ」 が違うと、セリフの言い方が微妙に変わるんだ。≫ (141~142ページ) 演技が、たくさんの可能性を繰り出し、そこから選びとるものであることも知らされた。 ≪感じたままに言うのは、演技じゃないんだ。それは、癖なんだ。 癖は、どんな風に言おうかという表現を考えてないんだ。君が演技の天才ならそれでいい。 天才じゃないなら、どの言い方がベストなんだろうって探す必要がある。 だから、プロの俳優は、 「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」 というセリフを、何十通りでもいえないといけないんだ。それも、本心からね。≫ ≪自分の癖を自分の演技だと思っている人は多い。そういう人は、残念ながら、いつも同じ言い方になる。癖だからね。そして、観客から飽きられていく。≫ (147~148ページ) 自分の 「気」 をうまく発散させるための契機として、「じゃまをするもの」 を見つけ出し、あるいは 「じゃまをするもの」 を演技者が想定・設定して、それを克服してゆくんだというノリを演技の原動力にするのがいいようだ。 (これは、鴻上尚史さんの言っていることを、泉ふうに言い直してみたもの。) ≪いい台本には、「じゃまするもの」 がちゃんと書いてある。 水準の低い台本には、書いてない場合がある。その場合は、台本に矛盾しない範囲で、君が一番納得して、一番ドキドキする 「じゃまするもの」 を君が決めるんだ。≫ (148ページ) 俳優になりたい動機。 これを、ぼくの場合は、朗読あるいは一人芝居をする動機と言い換えてみよう。 動機は、何だろう。 鴻上尚史さんの思いのなかのひとつの理想は、 「いろんなお話が好きで、いろんなキャラクターになって、いろんな人の人生を経験したい」 という動機。 ≪それを見る観客は、いろんな人の人生を、客席にいながら体験できるんだ。素敵なことじゃないか。≫ (163ページ) 素敵な時間の共有をよろこびあえるところまで、いきたいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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