カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
今年のぼく自身のベストニュースは不倫でも転職でもなく、北千住のシアター1010でドラマ・リーディング教室に参加したことでした。
2週間が経ち、早くも遠い過去のように思えますが、その話を少々。 芥川龍之介の 「魔術」 と 「杜子春」、ふたつの短篇を選んだのは、ドラマ・リーディングを指導してくださった 「演劇集団キャラメルボックス」 の成井 豊(なるい・ゆたか)さん。 著名な演出家の成井さんは、龍之介と江戸川乱歩に心酔しています。だから、いまサンシャイン劇場で公演中の 「サンタクロースが歌ってくれた」 も、龍之介と乱歩が主人公なのです。 ぼくの分担は、「魔術」 ではセリフ一言の老婆と前半一部分の地の文、「杜子春」では即興風の独唱もある仙人の役でした。 11月28日にシアター1010の稽古場で、多彩な照明と効果音入りの朗読発表会を開いていただき、14名の生徒 (14歳から80歳まで) が舞台に坐ったのでありました。 教室は9月18日に始まり11月27日まで土曜午前2時間ずつ8回。 そして11月28日に2時間のリハーサルの後、午後2時から本番。お客さまは、14名の生徒たちの親族知人30~40名というところ。 演劇界のプロによるレッスンとパフォーマンスの機会をコンパクトにまとめたすばらしい企画を格安の参加料で提供してくださったシアター1010に、あらためて心からお礼を申し上げたいと思います。 * ドラマ・リーディング。訳せば 「劇読み」。 脚本を読むのだろうと当然おもっていたわけですが、これが、ちがうのですね。 大部分が地の文からなる短篇小説の 「杜子春」 を読むわけですから。 セリフに思いをこめるのは、これは当然でしょう。地の文をどう読むかが勝負どころ。 おすまししてアナウンサーがニュースを読む口調の対極。地の文の隅々までドラマ性を盛り上げる。 読み上げるのではなく、語る。 聴いている人の脳に、活字が投影されるのではなく、いのちがそのまま伝わるように。 地の文を 「語る」 のです。講談のように。 ほとんど失われた 「講談」 という文化は、ほとんど北朝鮮のアナウンサーの専売特許になりつつありますが、これに俄然、現代の血を通わせるわけですね。 じつはぼくは図らずも、まさにこのドラマ・リーディングを自分なりに試みていたことがあって、それを2年前、平成20年11月15日に第2回読者イベントで披露したことがあります。 演目は吉屋信子(よしや・のぶこ)の短篇小説 「鬼火」。 大正琴のポロポロロンを折おりアクセントに爪弾きながら語り読みをしたわけですが、いま思えば地の文の読みがアナウンサー気取りで、“うまく” 読もうとしていた。 それではいかんわけです。「うまく読もう」 と邪心を起こした途端に、ドラマ・リーディングは破綻する。 語り手になりきれるかどうか。語り手の軌道を疾走できるかどうか。勝負はそこです。 * レッスンは、演劇集団キャラメルボックスの成井 豊さんと白井 直(しらい・なお)さんがほぼ交互に担当してくださいました。 第1回のコマでは成井さんの語る平成の演劇事情がいきなり面白く、そして試しに朗読をしたところぼくの力むことのない読み口にいきなり注目していただいて、これはうれしかった。 演劇や朗読に、他人とはちがう関わり方をしてきたという自負がありましたから。 脚本を読んでいくのであれば、登場人物ひとりひとりの性格・境遇の分析 (=役作り) がだいじな要素。 でも、地の文が大きな比重を占めるドラマ・リーディングでは、「読むのではなく語る」 を体感するのがだいじ。 そこで、第2回のコマは 「自分が好きなこと」 についての作文をみんなの前で 「語る」 ように読むというセッションでした。担当は白井さんで、ノセ方がうまいかたなのです。 発声法や言葉のキャッチボールの基礎訓練のさわりを体験し、教室も後半に入ると 「魔術」 ・ 「杜子春」 の読みに入りました。 「杜子春」 の仙人役は志願してでもやりたかったので、成井さんに割り振っていただいてとてもうれしかった。 役づくりは、ぼくなりには笠 智衆(りゅう・ちしゅう)さんでした。 笠さんを脳裡に思い浮かべながら、笠さんならこう喋るにちがいないと思う喋り方を演じてみた。舞台や映画で見たことのある俳優さんのイメージを演じるというのが、ぼくなりの役作りの安易な知恵でした。 そしたら、白井さんから 「ゆっくりすぎる。もっとスピード感があったほうがいい。この仙人はかなりパワフルなので、空気をえぐるような力をこめるといい」 とアドバイスをされて、笠 智衆さんの霧は自ずと吹き飛んでしまった。 笠 智衆というオブラートの向こうにある仙人ではなく、「杜子春」 の仙人そのものになる。 ひとことで他人を吹っ切れさせることができるなんて、演出のアドバイスの力って、すばらしい。 地の文の読みも、 「もっと思いをこめていい。ほんとにオーバーな読み方だったら指摘しますから、聞き手を巻き込んでいく読みをしてください」 と煽っていただいたおかげでアナウンサー調脱出ができました。 * ドラマ・リーディングは、台本を覚える必要はありません。 けれども理想をいえば、台本はちらりと参考に見るていどにとどめたほうがいいと思って、とくに 「魔術」 の地の文は暗記し、客席に向かって語るようにしました。 これまで何度かプロの役者さんの朗読劇を見たことがあるのですが、ほとんど台本から目を離さない様子が不満で仕方なかった。 白石加代子さんの源氏物語の語りは例外で、台本を片手に舞台を縦横に動く。 朗読劇は本来そういうふうにエネルギーがあふれるべきで、紙との対話になっては絶対にいけないと思うわけです。 という信念から、自分が読む箇所はできるだけ暗記したのですが、ほかの人たちと行うリハーサルがほんの数回だから、やはり台本なしでは自分の出番のタイミングを体で覚えるところまでいかない。 そういう意味で、手元の台本は不可欠でした。 「魔術」 の地の文をぼくと掛け合いで読んだ女性がいました。 上手ではあるがちょいと気取った朗読調のかたで、ぼくの熱い語り口とうまくつながらなかった。 本番前のリハーサルのあと、成井 豊さんが 「もっと、語ろうとしてみてください」 と、そのかたにアドバイスしました。 本番前の1時間、その方なりに努力するうち革命が起き、本番ではそれまでの朗読調が打って変わって、あふれるような語り口。ぼくも掛け合いが気持ちよかった。本番の魔力です。 本番の魔力は、すばらしくもあり、こわくもあります。 魔力に押しつぶされないつもりでいたけれど、仙人のセリフでは後半立て続けに2度も言い間違いをしてしまった。ひとりで練習していたときには間違えたことのない箇所で。 台本を見ながら読んでいれば決して間違えないのに、中途半端に背伸びをしたらこのざまだ……と一瞬自分を責めて、頭が真っ白になってしまった。 ふと、朗読に間が空いている。 あれ? ……ま、まずい! ぼくが読む番だ! 他のふたりが読んで、再び仙人のセリフのところに来ていた。 なのに、ぼくはくよくよとその前のことを考えていたのです。 惨事になる前に朗読に復帰できたけれど、この失敗は、舞台のうえで仙人の役から心が離れてしまったからでした。素人まるだしです。 * 今月は演劇を7本みます。シアター・クリエの音楽劇 「プライド」 を4回も観るから、今月はやや特別なのだけど、まぁ少なくとも毎週1度はお芝居に行くわけです。 自分も時には舞台でチョイ役をやれればどんなにいいだろうと思いますが、現実にはそういうわけにはいかないし、それに第一、語ってみたいのは主役級のセリフだろ。 そんな欲求を満たしてくれるのがドラマ・リーディングであるわけで、これからも自分なりに深めてみたいし、来年もレッスンがあればぜひ参加したいものです。 来年4月には、ぼくの読者イベントで 「杜子春」 をやってみたいと思っています。 そのままでは長すぎるので芥川龍之介の小説は半分くらいに削る。 それとともに、龍之介がモトネタにした唐の李復言の 「杜子春伝」 もドラマ・リーディング用に編集して、日・中の杜子春を両方とも劇読みしちゃうわけですね。 そこから、比較文明論まで行ければいいな。 こつこつと準備を始めたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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