カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
「ひとり芝居」 をはじめて見た。どういうものなのか、前から興味があった。
新妻聖子さんの演じるひとり芝居は、1時間20分の1幕もの。 彼女の才気と、演技の幅の広さ、そしてうつくしくも心ゆさぶる歌声が存分に生かされたいい舞台だった。 おばあちゃんが残した、電話帳のように分厚いノートに見つけた防空壕の記録にひかれてたどり着いた娘。 厚い鉄扉のなかには、折り紙の動物園と、おばあちゃんが作りかけた巨大な 「約束のキリン」 のオブジェがあった。 芝居は、ケータイで母親にきれいごとを話すシーンで始まる。 やがて防空壕のなかは、目に見えないが娘にとっては実在する、亡きおばあちゃんと娘との会話が支配する。 そうか、舞台を電話の会話から始めることで、会話の片割れだけが浮遊しても不自然ではない環境をつくった。こうして、ひとり芝居のための空間のルールを巧みに設定したわけだ。 * 新妻聖子さんはいつも完璧に仕事をこなす才人で、とくに去年は 「キャンディード」 と 「プライド」 の公演を3度4度と観たものだから、ぐっと近しい感じがしていたのだけど、今回1時間20分の舞台は新妻さんの地の部分まで総動員して立ち向かっている。 はじめて彼女に 「女」 を感じてしまった。 といってもコケティッシュに媚びていたわけでもセックスアピールがあったわけでもなく、むしろその対極で、比喩としての “すっぴん” まで見せる体当たりが舞台を駆け抜けていたのである。 歌は5曲ばかり。せりふを歌うわけではないので、ミュージカルではない。歌としての歌を歌うので、音楽劇である。 なかほどの甍(いらか)の波の 「こいのぼり」 は、澄み切ったうつくしさ。 そして終局の 「青空」 の歌には再生への決意をこめた万感がこもっていて、ぼくのからだに電撃が走った。 * 劇場で配られたプログラムシートに書かれた新妻聖子評が、それぞれ的を射ていておもしろかった。 ≪彼女の目にはいつも胸を撃ち抜かれてしまう。ギラギラしていて、何者をもトリコにしてしまう引力がある。その目はとにかく貪欲だ。 (中略) よく、素直で吸収の早いことを“スポンジ”のようと表するが、彼女の目自体が底なしの胃袋のよう。好奇心と挑戦をいつもたたえている。≫ (まつもと市民藝術館 今井浩一さん) ≪危うい透明感と傲慢なまでの存在感。やんちゃな少女性とひたむきな少年性が同居する。一筋縄でいかない摩訶不思議な力を感じる。 (中略) 普段は飛びっきり愛らしい。よく笑いよく食べ、マイペースで人を惹きつける。 (中略) そんな彼女が、今回の稽古場でふと迷う表情を見せる。ひとり芝居…相当なプレッシャーが彼女にのしかかっている筈だ。 (中略) 孤独な戦いを続ける彼女を見て、僕は一段と新妻聖子という女優が好きになった。≫ (作・演出の東 憲司(ひがし・けんじ)さん) 東 憲司さんのシナリオは、謎解きの楽しみと詩的設定のうつくしさがあって、みごと。 新妻さんのいいところを存分に引き出してくれた。 (1月30日まで 赤坂レッドシアター で上演) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jan 27, 2011 12:29:06 AM
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