カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
スティーヴンソンの原作をあらためて読むと、ジキル博士は生来が善人のかたまりではなく、表向きは謹厳な学究者として生きつつ実は 「歓楽を好む性癖が人一倍つよかった」。
もともと自分のそんな二面性に悩んでいたから、人間性の悪のみを抽出して取り除くという研究を発想したわけだ。ジキル博士がただの善人だったら、あの悪魔的な研究は始まらなかった。 ミュージカルは短時間のうちにストーリーを収めなければならないから、舞台のジキル博士はもっぱら痴呆の父を救うために精神を分離する研究を始めるという設定だ。 * ジキル & ハイド役は、平成13年の初演以来 鹿賀丈史さんの当たり役だった。 鹿賀さんは、そこにいるだけで二面性がにおうから、じつはスティーヴンソンの原作の設定にぴたりとはまる人だった。 この役を引き継いだ石丸幹二さんが受けたプレッシャーは想像を超えたものだったと思う。 石丸さんは自分の内面を見つめつくし、鹿賀さんが紡いだジキル & ハイド像とはまったく別の、石丸さんならではのジキル & ハイドを演じた。 二面性がかすかに臭うジキル博士から飛び出した鹿賀さんのハイドは、獣性のかたまりとして咆哮し徘徊した。 ときに激情するが外見つるりとした善人のジキル博士から飛び出した石丸さんのハイドは、端正さを残すがゆえに存在そのものが哀しい。 鹿賀さんのハイドの獣性、石丸さんのハイドの哀しさ。ともに、演劇のみごとな到達点。見つめる観客の心をうちふるえさせる。 * 笹本玲奈さんが 「ジキル & ハイド」 に出演すると知ったとき、てっきり娼婦ルーシー・ハリス役を演じるものと思った。 5年前に日生劇場で見たマルシアさんのルーシーは、いまでも目を閉じるとくっきりとよみがえる。 ルーシーが歌う A New Life は、かけがいのない つかのまの よろこびであるがゆえに、せつなく、ぼくの大好きなナンバーだ。笹本さんがそれを歌うのだと。 ところが、演じるのはジキル博士のフィアンセであるエマ・カルー嬢だ。じつは、かなりがっかりしたのである。 ただの箱入り娘、おぼこ娘の役じゃないか。 3月8日の舞台を見て、エマ・カルー像が根本から変わった。エマが、かくもだいじな役だったとは。 笹本さんのエマのかげりなき微笑には、世間のあらゆる冷笑・嘲笑・偏見をものともせず一途にジキル博士を愛しぬく凛とした強さがある。 地道で深い役作りがあってはじめて生まれる、たおやなか美しさと折れることのない強さの共存。 * <ここからネタばれあり> 5年のときを経ての五演となった日生劇場の舞台は、舞台美術がいっそう精緻になり、モダンな切れ味のある照明がアクセントをつけた。 舞台奥からせりだして現れるジキル博士の研究室は、秘密基地のような凄み。 娼館は たとえて言えば、百年のうごめきの垢がしみついた洞窟のおもむきだ。 劇の展開としては、最後の結婚披露パーティーのシーンが大幅に変わっていた。 5年前の演出では、獣性を抑えきったはずのジキル博士からハイドが飛び出してから、友人アターソンがこれを撃つまでが、スピーディーな展開だった。 ところが今回はここにじっくりと時間をかけていた。 舞台のテンポを変えたことによって、亡くなったジキルを抱き上げていとおしむ妻エマ・カルーのけだかさの表現にも十分な時間が与えられた。 3月22日の夜に、さらに進化した 「ジキル & ハイド」 を観る予定。 ミュージカル 「ジキル & ハイド」 は、日生劇場で3月28日まで上演。その後、4月には大阪と名古屋で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Mar 9, 2012 08:13:25 AM
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