テーマ:中国&台湾(3304)
カテゴリ:中 国 界
隠者(いんじゃ)も、霞を食って生きるわけはない。
誰かが住居を与え、衣食を施すから、山水画の風景のような隠者をやっていられるわけで、まともな衣食住をくれるひとがいなければ、ただの乞食である。 いままで考えたこともなかったが、隠者はどうやって隠者としての体面を整えて暮らしていたのか。 『石川忠久 中西進 の漢詩歓談』 (大修館書店、平成16年刊) ふたりの碩学の駘蕩飄々とした歓談のなかでおもしろかったのが、古代中国の隠者のなりわいについての話。 ぼくのことばに直していえば、どうも西洋の道化に近く、日本の幇間(たいこもち)に近い存在だったようだ。 娼婦に対して 「高級娼婦」 がいるごとく、隠者は 「高級道化」 「高級幇間」であった。あ、商社マンは 「中級幇間」 かしら。 石川先生によれば、隠者はけっして山中に隠れているひとではなくて、社会のなかに固定されたひとつの地位だったという。 いわば、宮仕えせず尊敬を集めるフリーランスの学識者。 宴席にまねかれて、政治色の薄い、エンターテインメントとしての詩をつくったり、地方の有力者の集まりによばれて講義をしたり、権力者の子の家庭教師をしたり。 石川先生いわく ≪その座に彩りを添えるわけです。送別の場合だと、詩をもらって帰るひとは、箔がつく。江州の隠者、陶淵明先生から詩をもらったよって都で喧伝するわけです。≫ 中西先生が応じて ≪何かちょっと、だんだん藝者に似てくるようで (笑)≫ 石川先生はまたいわく ≪人間というものは、何もかも捨てているような人間にあこがれるところがあるんですね。隠者のほうは、それに乗っているんです。≫ ≪隠者が贅沢三昧していたら、これはおかしい。もちろん、彼らの清貧ということは、今のわれわれが考えているような清貧じゃないです。貴族社会の中の相対的な清貧なんです。≫ そう言われてみると、ぼくの生き方というのも、ここでいうような隠者を志向しているように思える。 * 本書がとりあげている漢詩のうちで、ぼくの最も気に入りは、杜甫の 「衛八処士に贈る」 だ。 五言二十四行の古詩。百二十文字が、上質の演劇一幕を見せてくれる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 20, 2012 02:33:07 PM
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