カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
ミュージカルは、当然のことのように日本語版が存在する。そして感動的だ。今週末も帝劇で 「二都物語」 を観る。
はじめて観た日本語版のミュージカルは平成18年、帝劇 「ミー&マイガール」 だった。 この作品、ロンドンで昭和63年にオリジナル英語版を観たことがあって、だから帝劇前で日本語版上演のポスターを目にして実は半信半疑だった。 「え? 日本語版って、ありうるの?」 仕事帰りに帝劇版を観て、以来、芝居にはまってしまった。何度かブログに書いたとおりです。 京劇の日本語版というのは成立しうるのだろうか。京劇こそ、中国語の発音体系と不可分の藝能ジャンルのように思われる。 わたしはNPO京劇中心の購読会員になっている。8月11日に、京劇役者さんとの交流会 (講演+質疑応答+写真撮影会) があった。質問したいと思って、事前にこんなメールを送った。 ≪京劇の日本語版の可能性について、どう思われますか? ミュージカルもオペラも世界各国の言語で上演されています。ブロードウェイミュージカルなどは、各国語に翻訳されて、各国語版で上演され、世界の人々に愛されています。 京劇タイプの演劇は、北京語、上海語、広東語などではもちろん上演されているし、ちょっと考えても音声構造が中国語と似ているタイ語やベトナム語なら上演は自然にできそうに思います。 さて、日本語や欧米言語 (たとえば英語やイタリア語) で京劇は成立するでしょうか。≫ 待ちに待った当日。沖縄での家族旅行を終えて、羽田から駆けつけた趙永偉(ちょう・えいい)さん。 にこやかさの奥からにじみ出てくる豊かなお人柄に魅せられた。 250811 第1回 京劇交流会 京劇三国志 「趙雲と関羽」 演出・主演の趙永偉氏と日本公演を振り返る @ 東京藝術劇場5階シンフォニースペース (京劇の日本語版の可能性について質問しようと思っていたが、講演のあと 「子龍!」 「主公!」 という劉備と趙雲の掛け合いを趙永偉さんの後について言ってみるコーナーで、京劇が台詞ひとつ言うにも大変な蓄積を要する一大藝術であることを知らされた。趙永偉さんのアル化もうつくしい北京語を聞きつつ、中国語ができてよかったと思った。) たった一言のセリフの節回しにも、ことばと情念を合わせ紡いだ歴史があるのだなぁ。 日本語版は可能であろうが、その制作はほとんど新作歌舞伎を作るような創造藝術となるだろう。 質問するのが、はばかられた。終了後、第1列に坐っていたこともあって、趙永偉さんが来られて握手をしてくださったので、わたしは “非常感謝,非常激動!” と言いながら握手を返した。 * きのう8月13日、京劇中心からメールが来た。なんと趙永偉さんがわたしの質問メールに懇切に答えてくださり、それを京劇中心のかたが日本語にまとめて送ってくださったのである。 わたしだけが読むのはあまりにもったいないので、ここに転載させていただく。 ≪京劇を日本語で演じる試みは今までにいくつか行われています。 中国でも行いました。日本の京劇研究会も日本語の京劇を上演したことがあります。 また、日本舞踊や狂言とのコラボレーションで京劇 《秋江》 や 《三岔口》 を上演したこともあります。これも日本語で行われました。 アメリカで英語の京劇が上演されたこともあります。 ですから、決して不可能なことではありません。 でも、英語の京劇は、中国人が聞いてわからないだけではなく、アメリカ人にも聞いて何を言っているかわからなかったそうです。 言葉は、その音や調子で意味を伝えるもので、それに節回しが加わる唱となると、別の言葉で表すのは大変難しく、言葉の意味の背景にある文化までを伝えることは出来ません。 日本語でも英語でもお芝居の内容を紹介したり、ストーリーを説明することは出来ますが、芸術性を保った台詞や唱に翻訳するとなると中国文化を深く理解し、言葉の音や調子に反映される味わいまでを表現しなければならないので、かなり難しいと思います。 視覚的観点から見ても、私は、舞台上の日本の人物が和服を着て英語を話しているのを見るとどうしても違和感があります。 同様に京劇の役者が京劇の衣装を着て、英語や日本語で台詞を言ったり、唱をうたっても、しっくりしないと思います。 ですから、私は外国語で京劇を演じることにはあまり積極的ではありません。 私は日本での生活経験がありますが、初めて日本料理を食べたとき、味が薄いな。材料がとても新鮮だな。という感想を持ちました。 その後、日本料理を食べているうちに、日本料理は魚は魚そのもの、野菜は野菜そのもの、豆腐は豆腐そのものの味を大切にするんだと気付きました。それは日本文化の特性を表しています。 食文化はその民族の文化を顕著に表します。伝統芸能も民族の歴史や文化を反映していますから、その国の歴史や文化を理解するために伝統文芸を理解し味わうことは理にかなっています。 そのとき、言葉もその重要な要素ですし、言葉に伴う音や、唱に伴う旋律、調子、節回しがひとつになってこそ表現が完成するのです。 ですから、本当に京劇を味わうにはやはり中国語による、もとのままの舞台をごらんになってほしいと思います。≫ 思いがけず懇切なご返事をいただいて、すっかり趙永偉さんのファンになってしまった。 京劇の日本語版がありうるとしたら、日本の一流の役者と演出家が少なくとも1年間かけて京劇の発声や節回しを学ぶところからはじめて、中国のスタッフと合宿状態で創造していかねばならないだろう。 日本の京劇ファンの人口はすくない。京劇中心が主催する来日公演に行っても、演目の質の高さと観客数が釣り合っていないのが、はがゆい。 京劇の本格的日本語版を制作するとしたら、劇団四季か松竹が採算度外視で取り組まねばならないだろうが、いつの日か実現させてみたいものだ。 セリフなしのアクロバットを演じる役者さんたちも見せ場を作ってくれるのだが、このアンサンブルは、中国人役者の皆さんにそのままお願いするのがいい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Aug 14, 2013 09:33:05 PM
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