テーマ:中国&台湾(3304)
カテゴリ:中 国 界
きのう9月2日は敗戦の日(=降伏文書に署名した日)だったのだが、昨日それを顧みたメディアも論者も無いようだ。(もしあれば、ご教示ください。)
8月15日前後にさんざん回顧したのだから、9月2日にわざわざダメ押しは不要なわけですが、平成27年現在はそういう景色の9月2日であったことをここに記録しておきます。 ■ 中国に洗脳されました ■ 中国共産党が抗日勝利をさんざん言うものだから、「第二次世界大戦で日本は中国に負けた」という一文に あまり違和感を感じない自分に気がついた。 (もちろん、この「中国」とは「中国国民党」のほうであって、中国共産党が日本軍とほとんど戦っていないのは歴史の常識ですが。) しかし! 昭和55年ごろの日本人の感覚は、今とは明らかに異なっていた。「第二次世界大戦で日本は中国に負けた」とは思っていなかった。 なぜそれを断言できるかというと、こんなことを思い出したからだ。 昭和55年か56年のことだが、財団法人・日本エスペラント学会が井上ひさし氏とダグラス・ラミス氏の講演会を開催した。(いやはや、朝日新聞的な人選でありますな!) わたしはエスペラント学会の編集部員だったので、機関誌に記事を書くべく熱心に聴いていたのだが、その講演でダグラス・ラミス氏がこんなことを言った。 ≪日本人には、いろんな思い込みがありますね。たとえば、ですよ、第二次世界大戦で日本はどこの国に負けましたかというと、みんな「アメリカに負けた」と言います。 でもね、こうも言えるでしょ。 「第二次世界大戦で、日本は、……中国に負けました」≫ 「中国に負けた」と言われたときの強烈な違和感を、今でも鮮明に覚えている。会場の聴衆からも戸惑いのオーラが立ちのぼっていた。「へ~ぇ、そういう発想もあるのかよ!」という空気。 ≪「中国に負けました」と言われて、皆さんは「え? 何、それ?」と思うでしょ。「あの戦争はアメリカに負けたんだ」と思い込んでるわけですね。 でも、「中国に負けた」のは、事実でしょ。違いますか。≫ ひとを小馬鹿にしたダグラス・ラミス氏の口調が、今も耳に残る。 ■ 日本はタイに負けました(?)■ 日本が全力で戦い、その日本を敗北に追い込んだのは、あくまでアメリカだ! というのが昭和55年当時の常識であり、空気だった。 『アサヒグラフ』が広島・長崎の写真大特集号を出していた時代である。 中国が連合国側にいたのは事実だが、「戦争で中国に負けた」などと発想すること自体がちゃんちゃらおかしい、そういう意識が昭和55年ごろには確かにあった。ダグラス・ラミス氏の指摘は、いま思うと、そういう日本人の意識のスナップショットだった。 こういう「まるで空気のような常識」は、具体的に記述されることなく忘れ去られがちだ。今や「日本は戦争で中国に負けた」と言われても、違和感なく聞き流す自分に気がついて愕然とする。 わたしが何を言っているのかピンと来ないひとも、「第二次世界大戦で日本はタイに負けました」と言われたら、さすがに違和感を感じないか。 きょう9月3日の北京にはタイの副首相も「戦勝国」の顔で来ている。 タイは戦争中、日本側についていた。戦争末期に王族がみごとな二股外交を行い、終戦の瞬間には「連合国側」扱いを享受した。 ■ 朴槿恵(ぼく・きんけい)と潘基文(はん・きぶん) ■ 昭和55年ごろの常識では、韓国の大統領がやおら「日本に対する戦勝国」を演じるなど、あまりに滑稽で、想像だにできなかった。 日本の帝国陸軍士官学校で教育を受け、満州帝国軍第8師団参謀としてソ連軍を迎え撃った高木正雄こと朴正熙(ぼく・せいき)大統領の娘は、いまや、韓国が中国に併合されれば正真正銘の「戦勝国」になれることを発見したようだ。 連合国組織(=いわゆる「国連」)の事務局長・潘基文(はん・きぶん)氏が北京の戦勝イベントに参加することを知ったとき、わたしは発作的に 「大統領選に出るための選挙資金を北京からもらいに行くのかよ!?」 と感じたものだ。 しかし、違和感をもつほうが甘ちゃんなのかもしれない。 わたしが「連合国組織」と正しく呼びならわしている通り、国連とは しょせん第二次世界大戦の戦勝国組織であり、日本もドイツもいまだに国連における「敵国」なのだから。 潘基文氏の行動は下劣だと思うが、それに抗議すると同時に、国連憲章から「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国」についての、いわゆる「敵国条項」を削除せよと改めて提起するのがモノの道理なのだろう。 ■ なぜ中国が9月3日を記念するか ■ ところで、8月15日号にも書きましたが、中国ではいまだに、降伏文書署名の翌日である9月3日が「中国人民抗日戦争勝利記念日」とされており、ずいぶん間の抜けた話であります。 国慶節を10月2日とするようなものですな。記念日にするなら、降伏文書調印当日である9月2日にするのが正でしょう。 9月3日を記念するのは、中国国民党が昭和20年9月3日を急遽「記念日」として休日にしたのが起源。降伏文書署名の当日は休みにするのが間に合わず、翌日に休んじゃいましたということで、それを共産党も引き継いで記念日にするわけですから、ふざけた話であります。 ちなみに中国国民党政府が南京で日本軍の降伏文書を正式に受理したのは昭和20年9月9日でした。 無料配信コラムの読者募集中です! 「北京に<戦勝>を祝われる違和感」は、9月3日に無料配信したコラムです。 登録読者数は約 6,000名。あなたもメルマガ「国際派時事コラム」の読者になりませんか。 ↓ こちらでアドレス登録ができます。 http://archive.mag2.com/0000063858/index.html お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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