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関本洋司

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2004年09月02日
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カテゴリ:コラム
 周知の事実ですが、縄文時代は1877年にモースが発見した縄の模様のついた土器に由来するし、弥生時代は1884年、今の文京区弥生町で発見された遺跡の土器に由来します。
 ここで強調したいのは、両者共に明治時代の東京で発見されたものであり、あえて言うなら、明治時代まで、縄文も弥生もなかったということです。少なくともその概念と名称はなかった。

 こうした指摘で何が言いたいのかといえば、シンボリックに自明のものとして使用される縄文、弥生といったタームの背後に隠れてしまっている、そのアレゴリカルな思考(縄文に関しては通常食糧備蓄の有無が身分制度を分けたことが特筆されますが、ここではケルトの渦模様と思考が共通しているという意味で、縄文的な思考とあえて言いたいところですが)を取り戻す必要があるということです。
 多くの場合、反近代的思考自体が近代に依存しているし、社会的錯乱は反権力的な身ぶりをシンボリックに指し示してはいますが、その責任能力のなさゆえに結局は権力を強固なものにしてしまいます。

 プルードンの交換銀行などの試みは、そうした責任のがれを許さない自助的及び自立したものでしたし、スピノザがデカルトとの格闘の中で得たものは、反体制的な身ぶりなどではなく、身体そのものの概念だったと思います。

 ベンヤミンが、命懸けで得たアレゴリーとしての認識の必要性を、言い換えれば、歴史認識それ自体の歴史性に自覚的であるということの必要性を再確認したいものです。

(あるMLヘの投稿より)






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最終更新日  2004年09月02日 10時51分49秒
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