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関本洋司

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2004年09月12日
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カテゴリ:コラム
 以下、最近ある掲示板に書いたコメントより。

 ジル・ドゥルーズが『千のプラト-』のリトルネロの章で引用した、民衆が足りない、というクレーの言葉が僕は重要だと思います。 (*注)

 思うに、最近の戦争及びテロのニュースに、デモのニュースに、オリンピックの国歌斉唱にそれらは呼応しています。

 この時、領土化、脱領土化、再領土化は、内在的な差異化及びマスメディアからの情報の分節化ということになりますし、リトルネロはそれらに対抗する民衆の側からの抵抗の武器、または論理ということになります。

 携帯電話の着信音もまた、小さなリトルネロであり、小さな個人主義的な領土化が街のあちこちで行なわれているということになりますが、これらは多分、資本による再領土化だとドゥルーズなら言うでしょう(電話代も馬鹿にならない)。

 以上、恣意的な読みに基づいた、リトルネロの読解及び展開でしたが、繰り返すなら、民衆という視点を現代思想に、音楽論によってドゥルーズが再び取り戻したことが重要だと思います。
(昨今の日本の憲法改正論議、郵政民営化の論議にもまた、民衆が足りない、と言うことが出来る・・・)

(*注)
 先に書いた「民衆が足りない」という箇所は、『千のプラト-』日本語版では正確には「~この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ~」(p388)となっています。

 





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最終更新日  2004年09月12日 00時23分11秒
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