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関本洋司

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2004年09月13日
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カテゴリ:コラム
 結局、ドゥルーズは思考における最小単位を発見したのだと思う。それは『アンチ・オイディプス』においても『差異と反復』においても得られなかったものだ。その思考はあらゆる「事件」(本来「良いリトルネロ」も「悪いリトルネロ」も混交している)を記述可能にするもので、あらゆるニ項対立を横断するものだ(この運動には終わりがないから結果的に思考それ自体が音楽になる)。

 その思考の最小単位をドゥルーズ自身に倣って、微粒子と呼んでもいいし、それはガタリの言葉なら分子革命ということになる。

 リトルネロに話を戻すなら、それは12章の遊牧論における「数える数」(能数)と「数えられる数」(管理される数)とも繋がっており、やはりあらゆるジャンルを飛び越える思考ということになる(だから、ドゥルーズの記述するリトルネロの宇宙への飛翔は比喩ではないのだ)。

 ただし、あらゆる二元論を横断しつつも、子供(冒頭の描写が素晴らしい)や民衆の主体化(生成変化と言うべきか)への契機として、リトルネロという概念(というより行為)はドゥルーズによって無条件に肯定されているようにも思える。

P.S.
 音楽理論史的に言えば、ドゥルーズは転調を現代音楽の課題として、理論的に位置付けた最初の人間と言うことになると思う。

以下、資料としてドゥルーズの思考と呼応するニーチェの『悲劇の誕生』の中の言葉を引用します。

 ~観照せざるを得ないとともに、同時にまたこの観照を越えて憧れて行く、というこのことを体験したことのない者は、この両過程が悲劇的神話の考察に当たっていかに明確かつ瞭然と相並んで存し、相並んで感ぜられるかを、想像することは困難であろう。それに反し真に審美的な聴衆は、悲劇に固有の作用のなかでこの並立こそもっとも注目すべきものであることを、私に証言してくれるであろう。
ニーチェ『悲劇の誕生』24章(筑摩文庫版p194)より

 ~音楽は事物の、あらゆる形式に先立つ最奥の核、換言すれば心臓を与えるからである。
同16章(p137)ショーペンハウアーの言葉より

 ~音楽の精神から、われわれははじめて固体の破壊に対する歓喜を理解するのである。
同16章(p139)より





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最終更新日  2004年09月13日 00時14分07秒
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