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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:コラム
「軍人は小児に近いものである。(中略)この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。」と芥川竜之介は『侏儒の言葉』で述べています。
これは逆に子供に可哀想な比喩です。僕の解釈だと軍人及び軍事オタク(オタクとはアピールする能力のない研究者のこと)は幼少の時、心のゆくまま遊んでおらず、充実した子供時代を通り抜けていないから、大人になって「代補対象」を探すことになるというものです(*)。 上記の芥川の思考は断片的で、資本の分析を含んでいませんから、石橋湛山などの現状分析には及びませんが、以下の記述などは昭和二年にしては鋭いものだと思います。 「日本の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞の伝へる通り、『正義の敵』といはなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反している。」 (『侏儒の言葉』芥川龍之介、1927年より) *ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』で主人公にこう語らせている。 「・・・休み時間に若いひとたちが戦争ごっこをしたり、追剥ぎごっこをしたりするのも、やはり芸術の芽生えだし、若い心に芽生えかけた芸術欲ですよ。こういう遊びのほうが、往々にして、劇場の演(だ)し物よりうまくまとまっているものですよ、ただ違いと言えば、劇場へは役者を見に行くのに、こっちは若い人自身が役者だというだけでね。でも、それはごく自然なことでしょう。」(『カラマーゾフの兄弟』下、新潮文庫) これはルソー流の社会教育とは観点が全く違うということを追記しておきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月02日 22時31分33秒
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