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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:コラム
プルードンの系列弁証法(*注)に倣って考察するなら、これまでの議論は以下の議題における系列(#~)の推移をたどってきた。
ちなみに(/)の中は互いにアンチノミー、つまり矛盾を形成している。例:(自由/権威) #軍事 (沖縄の独立/中国脅威論) (代弁あるいは報告/代弁、表象の拒否) (連合/冷戦構造化での米軍の重要性) (非武装/軍事力の必要性) ↓ #政治 (憲法第9条/日米安保) (対アメリカ情報公開要求/アメリカの必要性) (アジア平和条約締結/アジアの軍事的結合) ↓ #経済 (循環型社会への摸索/基地経済への依存) (地域通貨/国民通貨) (琉球時代のようなアジアでの対等交易/グローバリゼーション) ↓ #環境・エネルギー問題 (風力、バイオマスなど持続可能なもの/原発、石油) ↓ #文化 (黒澤の先進性/現実味のない妄想、幻想説) #食生活 (9パン/大量生産食製品?) 解説: 「質問」としては以下のものがあり、それに対する<回答>も試みられた。 <(if )沖縄の独立>←「沖縄への環境破壊、基地移転、憲法9条無視」 ↓ 「独立の軍事的根拠は?」→<軍事力を棄てることで独立(尊敬を得る)> 「将来はいいとして、今をどうするか」→<代替エネルギーの可能性> 「軍隊とは何か?」→<階級構造把握の必要性> 今後の課題: これらは、質問者に満足な回答とみなされ得ず、blogを通じた議論の不毛性の指摘も見られた。 ただ、書き込みを解放しているおかげで、(混乱も招いたが)横レスによる情報提供(イロコイ連邦の非武装の例:by雪風さん、フェティシズムの別定義:byのらさん)や考察の補強(アメリカ対日石油輸出禁止による太平洋戦争勃発原因の指摘:by gainerさん)などが見られた。 「匿名希望さん」による議論の交通整理も見られた。 国家対国家として考えるのではなく、同業者組合(漁民の例が出た)や草の根のつながりを重視する意義が十分に伝わっていない。それに反して資本家同志の国を超えた結託は一件強固なものとして見えるらしい(税金の無駄遣い?)。 中国脅威論には具体的なデータの提示が見られたがそれに対抗するデータがないことが問題点。 歴史をどう学ぶか?がこれからの争点になり得る。それは憲法9条の歴史的位置付けにも関わってくるだろう(例:柄谷、9条=超自我説)。 追記: 国を「守る」と言っていったいどんな国を守るのか?コンクリートだらけの大地をか? (日本全土におけるコンクリート使用料はアメリカ全土の30倍と言われる。) 一見、左翼/右翼の対立として看做され得るが、「環境」は両者の合意点足りうるのではないか? また、東アジアに関しては近親諸国との地理的近さを再認識していただくために富山県制作の以下の地図↓を掲示板で紹介した。 (上の地図に関しては、また日記で詳しく御紹介させていただきます。) また、今後は米国/中国という新たな冷戦構造の把握が望まれる。 精神分析/資本の分析を駆使した『子供と軍人』の改訂版も望まれる。 議論のあり方としては、提案、質問、答えといったサイクルをツリー状に整理し、なおかつそれに関わる人達をセミラティス状(*注)に開いていく必要がある。 辺野古のオジィオバァたちの座り込みはまだ続いている・・・ /////////////// 注: * 「系列弁証法」dialoctique se'rielle(あるいは「均衡理論」the'orie de equilibres)はプルードンの社会科学方法論の重要な柱の一つである。プルードンは社会を諸矛盾の系列的連鎖として総体的に把握しようとしたのである。プルードンは矛盾の連鎖の最終的な項が下位の諸項を超越的に解決すると考えたのではない。彼の考えによれば、ひとつの矛盾の否定としてあらわれる、より高次の項もそれ自体の内に必然的にアンチノミーの無限の連鎖(系列)なのである。 ヘーゲル的な「総合」はアンチノミーの解消をめざすが、プルードンはアンチノミーこそが現実社会のダイナミズム、その生命力の源泉なのだと考える。したがって、彼は社会のダイナミックな運動を抑圧し停滞させることなく、ただその破壊的性格のみをなくすべきだと考えた(斉藤悦則訳『プルードンの社会学』法政大学出版社、あとがき参照)。 また、マルクスによってプチブル的と称されたプルードンの思想は、情報産業の発達によってアクチュアリティーを増してきていると言われる(柄谷行人『定本トランスクリティーク』p254-276,p436-437、啓蒙サイト『よい子の社会主義』他参照)。 ちなみに系列弁証法を歴史的に当てはめると、 薩摩/長州 ↓ 日本 ヨーロッパ諸国 ↓ EU といった、対立の克服を事例としても考えられるだろう。 ただしかつての大東亜共栄圏はアジア諸国の個々の文化的特徴を捨象してしまうのでプルードン的系列弁証法の観点から批判され得る(EUに関しても検討の余地がある)。プルードンはそうした覇権主義に対抗(プルードンの場合はイタリアのナショナリズムやナポレオン三世の覇権主義に対抗)して、「連合の原理」を提示した。 *「セミラティス」 ツリーに対抗する概念。一点が多数と結ぶつく場合、多数の点が相互に分断されず、互いに線を引き合っている状態を指す。ツリー状の場合は多数の点が頂点のみでつながっているので、セーフティーネットが不十分だとみなされる。これは、ある建築家による、人口都市計画の欠点を指摘するための概念だったが、より人間的な街作りの根拠を示す概念であり、組織構造論としても着目された(例:『定本トランスクリティーク』『NAM原理』)。より具体的にはサッカーなどにおけるポジションチェンジを例として提示し得るであろう(柄谷行人『隠喩としての建築』他参照)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月13日 00時11分10秒
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