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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:コラム
非戦という言葉は以前からありましたが、坂本龍一さんが本の書名にしたので近年広まりました(*)。反戦と違って単に反対するだけでなく代替案を指し示すニュアンスがあるので、推賞したい言葉です。それは例えば、反「~」といった場合、「~」のもつ構造を前提とした思考に安住する場合が多々あり、必ずしも新たな構造を生み出さない場合があるからです。
ただし、状況によっては何かに反対しなければならない場合もあるので、「反」と「非」は相互に交通可能になっていなければならないと僕は考えます。例えばボイコットはやはり非買運動ではありますが、もっと強力な反対運動を起こさなければならないときもあります(水俣病など)。これは個人主義は個人主義の中に自足するべきではないといった言葉で置き換えられることができます。 正反合といった弁証法の中に、非という言葉を置くとするなら、それは時間軸によって捨象されない複数の線として記載できるでしょう。僕はそのような思想を展開した思想家としてスピノザ(*)を挙げたいと思います。 現代は、非であることが態度に求められる反面、(非の非と言ったらいいのでしょうか)何か積極的に賛成できるイデオロギーが見失われた時代だということもできます。 (続く) * 『非戦』(幻冬社、2001) * ネルーの自叙伝(『世界の名著』中央公論社)にも以下のようにスピノザの言葉が最後に掲げられていました。 「その昔、スピノザは自問した。 『知識と理解による自由か、それとも感情による束縛か』 そのいずれをよしとするか、と。彼は前者を選びとったのである。」 また、スピノザの主著は『エチカ』ですが、ここでは参考までに彼が具体的にくじ引きについて言及したテクストを以下御紹介します。 「諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は--これは会議にあって何より必要なことであるが--誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。」 (スピノザ『国家論』、第八章第二七節、畠中尚志訳、岩波文庫p139) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年11月04日 02時34分59秒
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