カテゴリ:吉雄のつれづれ
「絵描きになれないかも」と思ったことはないかと質問があった。
絵描きになろうと決めたのは、5歳か6歳でそれからというもの 基本的に「なれないかも」と思ったことはない。 これは言い切れる。 まず一番最初にぶつかったのは 「上手く書いても褒められない」だった。 でもそれで いいとおもった。 次にぶつかったのは 「描いたものを超えなければいけない」だった。 そうじゃないと、自分が面白くないからね。 これは結構厄介。 まぁ、それはさておき 小学生の時分、どうやったらそれを職業にできるのかを 明確に言えなければ、学生時代それに向けて勉強することを 家族が許さないだろうと 考えた。 小学3年生の頃には、どのようにして「職」にするのかを 明確にするよう誰かに伝えられるよう情報を集めたりしていた。 もちろん絵のスキル自体は、好きだから勝手にいろいろ考えて 幼き日々はいろいろ上達の仕方を考えた。 小学生-中学生の間は、入賞が一番の近道とおもいいろんな公募に出そうと 描いて、もちろん漫画も投稿していろいろもらった。 頂いた「物」はさておき、作品に関する評価コメントなどとてもうれしかった。 中学は、美大に行けば4年間絵をただ書いていい時期が延びるぞと そっちに向けて勉強して、普通の学力も必要なので、その一環で塾で教えて デッサンだけ書きまくれと言われたらそれをやり続けたり 舞台に絵が必要だと言われれば 書かせてもらったり 防波堤に絵を描いていいと言われれば、画材かついで書きに行き どの友人との出来事も どのアルバイトも どの風景も 絵の深みのために(=自分の深みのために) すべて必要だ 大事だと 思った。 高校を卒業して(諸々の理由で☆美大いくのはやめたw) 沖縄をでて渋谷の専門学校に行き 私が考えるより 「職」にすることに重きを置いてなかったので 1年で辞めて、バイトしながら雑誌社関係のイラスト描いて 頼まれれば 和菓子のデザイン などもしたりした。 もちろん、暇さえあれば、手短なものをデッサンして 友人は横顔をデッサンさせてもらって(横顔の似顔絵はだいぶ趣味;)。 明確な職業になってから 14年ぐらいになるけれど お金をもらうようになってからは 21年になる。 頼まれれば描く、依頼されれば描く ほっといても目の前の紙に 何か描く。。。 私が世にいう「画家」ではないことはたしか。 「絵描き」を想像すると 私とはだいぶ違うはず。 ただ、私が幼稚園生の頃に夢に描いた 「えかきになる!」という えかき には 今はだいぶ近い。 何でもデザインするよ。自分の生き方だって。 絵描きになれないかもという 悩みは皆無。 なってしまったら 辞めるのは自分次第なのだ 続けていくことも自分次第 目の前のものを描き切るかも自分次第。 向上しつづけるか否かも 自分次第 どのようなスタイルの絵を描くかも自分次第。 これになりたいーーとただ夢として追っている時は 第一ステップであり、まだ「絵描き」ではない。 なってしまってからがもちろん大事。 それ以降の方が時間的にも長いし。 しかし、 職場を辞めるように、もう辞めます!と絵を辞められるのかというと 無理だということに20歳あたりでは気が付いていたので 「絵描きになれないかも」と 思ったことはない。 交通事故で腕が使えなくなったとき 「“手を使って”絵を描けなくなるかも」とは 思った。 絵描きになれないかもとは 思わなかったな。 常になりたい自分になるしかない。 世界から学び続けるしかない と・・・思うよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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