木曽路はすべて山の中~2
朝4時起床。真っ暗です。アタリマエです。散歩に行っても何も見えません。アタリマエです。日の出前ですから。とりあえず、温泉に入りそれから朝の散歩へ出直しです。あらら、雨が降ってきました。今日こそ天気は駄目かしらてるきちくん、おねがい~裏山を行くと木曽が本当に山の中だと実感します。藤村の「夜明け前」の頃はこんな感じだったのかしら。まったくの山の中、それなのに中山道の宿場と言うことで情報だけは入ってくる。自分はどこへもいけないのに時代が、ものすごい勢いでどこかへ向かっていく。理想の世界の実現のため、微力を尽くしたくてもどこへも行けない…。そしてやってくる、新しい時代。朝ごはんを凄い勢いで食べさっさと出発。宿の方々、お世話になりました~木曽八景~寝覚ノ床展望台から覗いても水が澄んでいるのがわかります。すごいねぇ。降りてみました木で隠れたところに浦島神社という社がありまして、岩を渡り石を飛び越え炎天下まったく日陰のない岩場を行きます。アツイなんか今日はすんごい晴天デスヨ雨はどこへ行ったんです途中で断念しようかと思う程、過酷な岩場ですよ。遠くから見てたら簡単にいかれそうなんですけどねぇ。でもまぁ、せっかくなので進みましたよ。浦島神社は岩の上のさらにはしごをチョット登った本当に狭い場所にありました。中にはお賽銭とともに松ぼっくりがいっぱい。なんかほほえましいです。…がほほえましがっている場合ではなく、これからまた来た道…じゃなかった、岩を戻ります。ひざが、ヤバイかりまくら やさめのとこの やまあらしも あめになりゆく よわのさみしさ閑利末く羅弥さめのとこの山嵐もあめになりゆく夜半のさみしさみんなで汗だくになりつつ帰還。まだ朝の9時だって言うのに全力を出しちゃいました木曽八景~小野の瀑布ここは寝覚ノ床からしたら天国でした天然のマイナスイオンシャワー全開。しばし水遊びをして和み、疲れが癒えました。しろたえに みるひとすじは てづくりの それをまがう おののたきつせ志ろたえにみ類ひとすじは手都くりのそれをまがうをのの瀧つせ巴淵 義仲館 義仲館の案内のオジサンがおもしろかった木曽八景~徳音寺木曽八景、徳音寺は鐘の音なんだよねここは木曽義仲一族の菩提寺。~木曽義仲~もう字が磨耗しちゃって読めませんね。~巴御前~巴御前は93歳まで生きたんだって。すごいな~小枝御前・山吹御前・木曽一族郎党供養塔~さらに義仲四天王のひとり樋口兼光の墓所山寺は外ともわかず程遠きふもとに響く入り相の鐘奈良井宿中山道の宿場町。雰囲気がいいですねぇ。ここも古い町並みがちゃんと保存されています。道の両側にはお店が並びあちこち冷やかしながら歩くのは楽しいものです。雹の被害を受けたりんごを売ってたりしてチョット大内宿に似てるかなお昼にまたまたおそばを食べたんですが、ふもと屋とはまた味が違うんですよぅ。おそばの味がこんなに違うなんてちょっと驚きました。ちゃんと名物の五平餅も食べました~。五平餅の語源は「御幣」から来ているという説もあるようですがここの五平餅は丸くておにぎりみたいです。くるみみそとごまみそ。どちらもダイスキ道にどかんと立っていた関所跡。当時もこんなにでかかったの関所資料館山の斜面に建つ資料館。関所が山の中だってことが実感できます。ここに「中山道を通った有名人」というのがありまして、ダイスキNO,1の名前が無く、代わりに「大鳥圭介」がどっちが有名なんだよぅ。そんなわけでこれで木曽路はオシマイ。伊那のICから一路帰宅。途中、事故渋滞もあって最後の休憩地談合坂は大混雑どこのバーゲン会場だよってほどの混み具合でした。心配していたお天気は結局東京のほうが雨だったらしく、最後の最後で雨にあいましたが木曽路はよいお天気でしたな。楽しかったし、うれしかったし、お疲れでした。みんなありがとうこの木曽路、実は凄く楽しみにしていたんだよね。それが終わってしまって少々がっくり数日は使い物にならないくらい気が抜けてしまいました。しかも寝覚の筋肉痛にも悩まされたのでした。また誘ってくれないかなぁ