ワイドショーな権利
週刊文春が、出版禁止命令を受けたようだ。文芸春秋社は、徹底抗戦の構えらしい。アホウとしか言いようがない。先日、人権のことを書いたが、これもまた同じような話だ。報道に携わる人間、しかも大出版社が言論・報道の自由の意義を解っていないのだから、あきれるほかない。日本国憲法第21条========================= 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。=========================================この条文を読むだけだと、確かに何を書いても良いし、なんの規制も受けないように思われる。文春の反論は、これを言ってるのだろうが・・・・世間でも、「禁止された(離婚の)記事に興味があるか?」とか「国会議員の娘は公人か否か」とか、実にくだらん議論になっている。こういうのを見ると、憲法についての理解が足りんのじゃねえ?と思ってしまう。たとえば、「憲法を改正論議」が起こるたびに、平和主義者たちが口角泡飛ばして反論するが、これもアホウな話だ。平和を目指すのであれば、憲法改正を叫ぶべきなのだ。憲法第9条が、あまりにも曖昧な表現であるがために、イラクへの自衛隊派遣なんていう違憲行為を、政府が勝手にできてしまうのだ。善し悪しではない。必要か不要かでもない。(俺自身はイラクに行くべきだと考えている。)違憲かどうかだ。違憲な行為を、一部の政治家の判断で実施できてしまうというということが、いかに恐ろしいことか。それは歴史が証明している。国の暴走を止めたいのであれば、こういうことにこそ、平和主義者たちは立ち向かうべきだ。と、いきなり憲法9条の例を出したのには理由がある。憲法は誰のためにあるのか?ということが理解されていない例として、ぴったりだからだ。もちろん、憲法は国民のためにある。ここまでは、衆目の一致するところだろう。では、憲法を破ろうとするのは誰か?憲法は、誰を縛っているのか?・・・そう、憲法は、国家を縛っているのだ(または公権力・権力者たり得そうな存在を)。ちょっと考えてみれば簡単なことだ。戦争放棄、信教の自由、表現の自由、財産権・・・これらを破壊しようとするのは、いつでも「権力」なのだから。表現・言論の自由が保証されている理由。戦前戦中、国家の圧力によって事実と異なる、権力者(軍部)に都合の良い、曲げられた情報が流された。これによって、国民の判断も曲がってしまったという苦い歴史があるからだ。こういう経験を踏まえ、国家が国民の言論を弾圧することを、憲法は禁じているのだ。本来の趣旨を汲みつつ、憲法第21条を注釈つきで読み解いてみよう。1(公権力による暴走・圧力を封じるため)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、(憲法が国民に対して)これを保障する。2(国家は、国民を弾圧するような)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、(不当な介入・弾圧を招くため)これを侵してはならない。いち国民の離婚を報ずることを、国が禁止するかどうか・・・憲法の趣旨の中に、そんな低レベルな想定はない(笑)・・・ということを踏まえつつ、文春さんの言い分を聞いてみよう。言っては悪いが、たかが一民間人の離婚騒動を報じることの是非について、文春誌はかくのたまう。文芸春秋社の声明文======((株)文藝春秋のサイトから、全文引用)定期刊行雑誌の事前の販売差し止めは、当該記事のみならず掲載記事すべてにかかわる表現の自由の圧殺にほかならない。とくに今回の仮処分決定は、「プライバシーの侵害」という言葉を、その具体的な内容の開示を封じることによって逆に肥大化、独り歩きさせ、もって雑誌ジャーナリズムヘの評価を不当におとしめるものであった。これは異常な事態である。この4日間を振りかえるとき、あらためてその経緯に慄然とする。これに対して当社は、記事内容に比して決定があまりに均衡を欠き今後に及ぼす影響が甚大であること、またなにより事前の販売差し止めを例外中の例外とした最高裁の判例に明らかに反することを再三主張してきたが、またしても一方的な判断が下されたことに怒りを禁じ得ない。当社としては、今回の決定が前例として定着し、事実上の検閲の常態化に道をひらき、国民の知る権利を奪う結果に至ることを憂慮して、高等裁判所の判断を仰ぎたい。 平成16年3月19日 (株)文藝春秋 ========================================・・・おいおい。「言論の自由をひとり歩き」させ、捻じ曲げた主張をしているのは、誰だ?国民をなめてる、貶めているのは、いったい誰だ?封じられるべき横暴な権力を振るっているのは、誰なんだ?【追記】たしかに、「プライバシーの侵害」についても、「国民の知る権利」についても、憲法には明確に書いてない。基本的人権や国民主権の条項から、それは保証されていると「看做されて」いる。これは変だろ。人権屋さんたちは、これにこそ闘うべきことなのに、何故に判で押したように「改憲反対」なのだろ。これも変だろ。