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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
年金部会の前に、年金局の方が事前説明に来て下さった。
「いまさらですが、年金制度って『福祉』なんでしょ うか?」 と、聞いた。 「いや、共助なんだと思います。共助という概念も幅が 広くてとても難しいですが・・・」 と、担当の方は答えてくれた。 この場合、「福祉」というのは公助をさす。 公助というのは、税金を使って、社会の責任として、 「社会的弱者」と呼ばれる人たちの最低限の生活を 保障することだ。 たとえば、生活保護。児童手当も福祉だ。 年金制度、介護保険制度、医療保険制度は、 共助の範疇で、公(おおやけ)の福祉とは、 一線を画している。 国民みんなでお金を出し合って、制度を支えようという ものなのだ。 保険料は、サラリーマンの場合、天引きで引かれて しまうので、 高齢者の医療保険料なども年金から引かれてしまうので、 「国に持っていかれた」って気分になって、 被害者意識が高まってしまうのだけど、 実際は違うよね。 だって、保険制度ってのは、みんなでお金を出し合って 制度を支えるものなのだから。 拠出するのは当たり前のはずなのだ。 負担しないけど、もらえる・・・なんてことは、 よほど生活に困っている人、「社会的弱者」には 適用されるだろうが、 それは「よほど」のことだと思う。 だってみんなが、負担しないけど、もらえるなんて うまい話はあり得なくて、どこかの誰かが、負担を しているのだから。 (わたしたち先進国で生きるものたちの豊かな生活が、 地球の裏側の見知らぬ国の、見知らぬ人たちの犠牲のうえに 成り立っていることぐらいは、誰だって知ってるよね?) 専業主婦という人たちは、自分は一銭も負担はしない けど、基礎年金を受け取れる人たちだ。 収入がないのだから、負担できないでしょう? というのが、理由なわけだけど、 まあ、昔はいろいろな思惑やなんやかんやもあったろうし、 経済的にも余裕もあったし、高度経済成長で、鼻息も荒く 意味もなく自信もあったのだろう、 女性には働いてもらわずに家事や育児を やってもらいましょうよ、 その分は、オレたち男の甲斐性で、支えてあげましょう よ・・・と、決めたんだろうね。 「そうしてほしいでしょ?」 って聞かれた覚えはないけど、 たぶん、あまり女性に聞くこともなく、男性たちが 「それがいい」と思い込んで、決めたんでしょうね。 ほんと、バカなことしちゃってサ。 って、今となっては、思うわ。 専業主婦の母親のほうが働く母より子育ての負担感を 強く感じていて、2人目、3人目の子どもを産む気に なれないとか、子育ての経済的負担を指摘してるよ。 子育ての精神的負担と経済的負担の両方が、 ここに如実に現われている。 なんで女に仕事を辞めさせちゃうんだろう? なんで専業主婦になったほうがお得だよって制度作っちゃう んだろう? 世の中の女性の7割が結婚や出産を機にいまでも 仕事を辞めている。 その人たちの多くが、専業主婦優遇制度の恩恵にあずかって いるとして、彼女たちははたして「社会的弱者」なのだ ろうか? 負担をしないのに年金が受け取れたり、 負担をしないのに医療や介護の制度の枠組みのなかに 入れてもらっている人がこんなに大勢いるうちは、 国民全体に、「共助」ってものが、 腹にストンとは落ちないのではないか? 20歳になったら、大学生だって、国民年金納めるというのに。 成人を18歳に引き下げたい理由は、社会保障制度の維持に あるのではないか?と、うがった見方をしているのはわたし だけではないだろう。 そこまでしても、専業主婦には、負担を求めないのか?? 日本はそんなに余裕があるんだろうか? 選挙の時の女性票が逃げるから怖い? (いっつも女から逃げてばかりね) みんなでお金を出し合って、制度を支える共助のしくみ。 お金が出せない専業主婦は、出せない代りに、夫の仕事を 支えている・・・って、じゃあ、夫に倍払ってもらいましょ うよ(笑)。 みたいな議論を前回の年金部会でした。 働く母親も、子育てはしている。 子育てしていること、専業主婦か働く女性かということは、 別ものとして扱ってもらえないだろうか。 わたしだって、専業主婦だった時代がある。 だから、専業主婦個人を責める気持ちはさらさらない。 (問題意識ゼロの人を見ると、気の毒にはなるけど) それよりも、子どもが小学生の高学年ぐらいになって そろそろ社会で働きたいと思っても、ブランクがあきすぎて 仕事に戻れない、この現状こそ問題だと思っている。 ワークライフバランスがもっと十分にとれる社会になって いれば・・・!! キャリア形成のブランクだってあけずに済んだだろうし、 子育てや家庭生活と、仕事を通しての2通りの自己実現を 行うことで、その人の人生はもっともっと豊かなものに することができるだろうし、 そして何より、税や保険料を納め、みんなで社会を支える 一員に参画することができるはずなのに。 経済界や産業界の人たちは、「自助・自立」が好きだ。 その思想は、能力主義的で、頑張った人が頑張った分だけ 報われるという感じで共感する部分もあるけれども、 どことなく弱者切り捨ての部分も感じられて、はらはらする。 それは、たぶん、わたしが、そんなに強くもなく、 子育て中に、赤ん坊というまったくもって完璧な「社会的 弱者」の養育に携わっていたことと、大病をして人はいずれ 老いて死ぬという当たり前のことを骨身にしみて知ったから だと思う。 「困った時は、お互い様だから」 って、なんか、いいじゃないですか。 そんなことがいえる人になりたいし、 子どもにもそんな気持ちを伝えたい。 「支えてもらってありがたいなー」という記憶が、 「いつか御恩返しをしたい」という思いを生むのだと思う。 そんな「情緒」や「心の交流」を制度を通して築くことは 不可能ではないと、わたしは思う。 共助の意味は深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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