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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
杉山です。
スピリチャルなどという言い方をするずっと前から、 「それは、ちゃんとあったんじゃん」と、いまさら ながらの、遅ればせ・・・の自分に気づいたりする。 例えば、 『西の魔女が死んだ』。 今頃読んだのよねー。あーあ。 こんなふうに活字にして、思春期の女の子たちに供する 梨木さんってすごいな。 で、先日の、「女性に言葉を」の続き。 今、静かに読み進めているのは河合さんの『子どもと 学校』(岩波新書)だ。 保育とか幼児教育とか教育分野に多少なりとも興味のある 人だったら、これを読んで、びっくりするんじゃないかな? と思った。 (ってゆーか、今頃読むわたしがかなり遅れているのかも) 「男性の目」は対象を自分と切り離し、客観的に見る。 それは全体よりも、ある部分を切り取り、その部分を明確に 確認する。 「女性の目」は、自他の未分化な状態のまま、主観の世界を 尊重しつつ、ものを見る。それは、明確さを犠牲にしても 全体を把握しようとする。 実のところ、われわれは現象を見る際に、この両方の目を 必要とするのであろう。 (中略) われわれが現象を始終「男性の目」で見て、そこに一般化を 行うときは誤りが生じない。しかし「女性の目」で見たこと を一般化しようとするときは、細心な注意が必要である。 普遍から普遍に至る道はわかりやすい。 しかし、個より普遍に至る道を探そうとするときーー それこそが新しい保育学には必要なのだがーー、よほどの 注意が必要なのである。 (中略) 今まで培われた「男性の目」を否定することなく、そこに 「女性の目」もともに用いることによって、新しい保育学が 築かれるのではないかと思う。 そのためには、女性がその能力を十分発揮して、新しい学の 建設のために参加することが期待されるのである。 (『子どもと学校』河合隼雄 岩波新書)より おりしも、今日は、少子化対策特別部会。 夏休みを挟んでの後半の議論が始まります。 昨日、ちょっと説明を受けたのだけど、 「あああー。男の目の議論だなー」と、カクゴを決めた。 いままで、「女・子ども」の議論でほうっておかれた 分野に、「少子化」という黒船と同時に、「男性の目」が 注がれるようになったのでしょう。 それは、好ましいことなんだけど、そのプロセスを経て、 再び「女性の目」が必要だと、思います。 とはいえ、制度とか財源とか、仕組みとか、そういうのって、 相当に男性的なものなので、そこを女性の目でいじるのは あまり建設的だとは思えなくて、 むしろ、使いこなす人のほうに、どれだけ「賢明な女性の目」 を注ぎ込むかにかかっている気もするんだよね。 と、とにかく。 結論を急ぎすぎないで。 これから始まる大事な議論に、注目してください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 5, 2008 09:51:42 AM
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