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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
杉山です。
先日、がんの手術をされたばかりのドクターとお話 したとき、 「今まで何もわかってなかった。 患者さんって夜泣くんだな・・・とか」 とおっしゃるのを聞いて、 もともとドクターには珍しく(失礼!)、感性の豊かな方で、 ものの見方とか表現とか、学ばせていただくことが多かった のですが、それだけに、 「ああ、この方はこれから、ますますすばらしいお仕事を なさっていくのだろうな」 と、確信したのでした。 「いい仕事」ってなんだろう? 数をこなすことではなくて。 長生きすることではなくて。 人はそのつど同じ状態ではなく、いろいろな経験を 積んで、生きている。 子どもを育てたことのない人と、 子どもを育てている人が、 同じ職場で同じ仕事をしていて、 それが質的に何も変わらない・・・っていうのを、 20世紀は求めていたように思うけれど、 たぶん、それは、違うのだろうと思う。 子どもを育てたことでいろいろなものを得た人が あるいは、 いくつもの挫折を経験して、今の職場にいる人が、 その経験の分だけ「いい仕事」をするようになる んじゃないかな?と。 わたしの周りには先のドクターだけでなく、いろいろな しんどいことを経験したり、抱えたりしながら生きている 人がたくさんいる。 それは「ハンデ」や「弱さ」なんだろうか? むしろ、経験しなかった時と、そのあとでは、同じ仕事の ように見えても「味わい」や「深み」が違ってくるに違い ないと思う。 それが、しぜんと、否が応でも、 見えてくるようになるんじゃないかと思う。 それが、よく言われる「人を大切にする社会」って ことなんだろうなと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主張する自分の内容もないのに、誰も彼もが 自分と自分の意見とを主張している。 例の「ブログ」というのが、その典型でしょう。 私は見たこともないですが、要するに無内容な自己主張の 極まるところでしょう。「私はこう思う」「私はこうだ」 というそれだけのことを、いっせいに口々に主張し合って いるらしいのですが、なんと空しい光景でしょう。 そんなのはまあ、動物の叫びか鳥の囀りみたいなもんですね。 人間の言語以前です。(『人生は愉快だ』池田晶子) イタ。 すみません、わたしがブログを書くのは、 たぶん考えている過程をどこかに記しておくことで、 より思考をはっきりさせたり、深めたりする、そのため だと、思います。 「そんなのアップすんな。人目に触れさせんな」 って池田師ならおっしゃるであろうなあー。 すみません。ここが一番書きいいもので。 だから、人は「自分の意見」をもつべきではない というのが、私のかねてからの持論です。必要なのは、 「その人がそう思うだけのその人の意見」ではなくて、 「誰にとってもそうであるところの考え」なのです。 (同書より) より本質的なことに近づくため、 本を読んだり、考えたり、人と会話したり、 ものを書いてみたり、ごはんをつくったり、 仕事したり、ボランティアしたりして、 生きている。 それだけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 8, 2009 10:52:33 AM
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