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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
杉山です。
土曜日から出張で、雪の長崎に行ってきました。 日曜日に開催された子育てフォーラムの講師と午後 からの分科会のあとの全体会のコメンテーターを させてもらったのですが、内容は、秘密。 (声はかれてたけど、「東京から呼んだだけのことは あった」と思っていただけるような、ぐっさりくること、 言いましたね、わたし) で、お昼時、会場の外の受付には大きなテーブルが 設置され、子育てネットながさきの カフェ部門「どろっぷ」さんのランチプレートの 販売が始まりました。 十穀米、サラダ、おいしそうな手作りハンバーグ、 そしてスープで、500円。 全部できたてほやほや。 これまであったかい紅茶やコーヒー、手作りケーキや クッキーが登場するのは見たことがありましたが、 この寒い中、でも、みなさんに温かいものを食べて いただきたいと、ランチを給する会は初めてだったので、 それを見たとき、 「この人たちの子育て支援を、この目で見てみたい」 と、思いました。 で、翌日、長崎観光をすっとばして、代表の西川さんを 訪ねて、ながさき子育てネットへ。 親子連れはもちろん、カップルやお年寄りなど地域のい ろんな人たちがやってくるカフェの向こうには、 子育て支援センター「ふわり」。 店内もそうだし、サイトもそうだし、「ふわり」もそう なのだけど、「感じがいい」んだよね・・・。 代表の西川さんはじめみなさんたちの個性なのだと思う のだけど、だからみんなやってくるんだなあーと、 納得しました。 この建物の2階で今度は学童保育も始めるそうで、 うー、がんばってほしい。 わたしはここで、夫と別れ、子育てしながら 「子育て支援で食べている人」と お目にかかったのだけど、 「子育て支援を仕事に」とずっと言い続けてきていて、 「あー。現れた~」 という気持ちでした。 これからどんどん増えるだろう。 増えてほしい。じゃないと、質が上がらないから。 はー・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 帰り道、西川さんに原爆の爆心地に連れて行っていただき ました。 「怒りのヒロシマ。祈りのナガサキ」 というのも教えてもらって、 「そういや、わたし、来月広島行くんだった・・」と 思い出しました。 そして、9.11の翌年の9月、なぜか行った(行ってしまった) 「世界貿易センタービル跡地」での体験を思い出しました。 忘れることのできない悲しみ、 なかったことにできない悲しみ、 もう昨日と同じ明日はやってこない悲しみ、 が、そこには在って、 「まち」はそれを抱えて生きていかなければならない のだな・・・と、その重さに圧倒される思いでした。 そこに生まれて、育ってしまった人たちは、 「もういいよ」と思っても、逃れられない。 よね? だって、傷ついた人たちがたっくさんいるのだもの。 「とても悲しい」 「とてもつらい」 「とても苦しい」 と、まちが言っている。 それが、わたしのような旅人にも伝わってくる。 長崎は、ほんとうに懐の深いまち。 消したりしないで、ごまかさないで、 ちゃんと受け止めているから、こんなまちになった のね。 そして、わたしは 受け止めよう、逃げないで。 西川さんの小学生のお子さんたちは、 学校の授業でそうした戦争の話を聞くし、 実際に跡地も歩くのだそうです。 「どうして戦争が起きたの? 原爆を落としたの? と聞かれます。年々質問が高度になっていくので こっちもうかうかできないです」 と、西川さん。 最近の子どもたちは、いやはや、まったく、すごいです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 予定調和を、ほんのちょっと壊した、わたしの訪問は、 「祈りのナガサキ」に、「受容と共感」の、その先を お願いしたのかもしれない、と、個人的には思いました。 「ん?それって、去年の12月、京都法然院で山折哲雄 さんに教えてもらった『受容してひっくり返す』なのかも」 と、やってから、思った次第。 長崎のみなさん、ちょっとやってみてください。 京都の宿題を、長崎で果たしました。 ま、これはよかったのかな? ということで。 学びの旅は、まだまだ続くのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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