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こんばんは、amigoのいしやまです。
新年もあっという間に一ヶ月がすぎ、 今年も、日々たくさんの乳幼児と赤ちゃんの生き様に接しております。 昨日は「産後の暮らしにたいせつなこと」と題し、 amigo的母親学級がありました。 参加してくださった妊婦たちは 本当に賢い女性たちで、 今までの自分の生き方、妊娠しての戸惑い、 これから予想されること、それに対する今のこころ構えと不安を それぞれの言葉にして話していました。 シッターの立場で関わる人や、出版界で産後に携わる方など さまざまな立場からの参加があり、 後ろの席から眺めながら 妊娠出産を取り巻く心理、資源、情報の矢印が行きかうのを見ているような気持ちでした。 産後のこころとからだの痛み というテーマがあがり、 沢山のデータが集まる立場にいる方から 産後の大変だった痛みにおいて 「会陰切開による痛み」が一番声が多くあがったのですが これに対してどう感じますか、何か対処していますか? との問いがたち、 初産婦からそれぞれの見解があがったのですが、 私が個人的に思ったことは 問題は「痛かったこと」ではなく、 「痛かったことがつらい思い出として忘れられないこと」なのではないかということ。 お産は痛い、どう頑張っても痛い。 私が10だと思っている痛みは人によっては5かもしれないし、20かもしれません。 その痛みが こころとからだに“忘れられない痛み”として残れば それは時を経て 痛みが、恨みや寂しさのような感情になってその人の身体に残ることでしょう。 大事なのは、 痛かった、辛かった思いの後に過ごす“環境”。 誰かに受け止められる、受け止めあっていく体験が 痛みをパステル調の色味を帯びた思い出にしていくことだろうと思います。 口先だけの会話ではない安心感は 身体で感じ、身体が覚えてゆくものだと思います。 とある治療を受けた際に聞いた話では 人間にとって 頭(頭脳、思考)はサザエさんに出てくるタラちゃんくらい。 一方身体はというと ビル・ゲイツくらいの凄さなんですよ。 人間て、例えるならばビル・ゲイツのことをタラちゃんが一生懸命奮い立たせたり 指図したり、思い通りにしようとしたりしてるんですよ。 そりゃ、いうことはきかないし、不具合も出ますよね ということ。 ビル・ゲイツ氏の素晴らしさ(?)をよく理解していない私でしたしたが 言わんとしていることは理解しました。 (念のため、この治療は素晴しいものであったことを付け加えさせてください) 痛くても、辛くても、つまずいても ある程度は何とかなります、環境次第で。 子育て支援、産後支援が力を注ぐべくは この部分なのではないかと思うのです。 もちろん予防も大事です。 しかしながら、先日耳にした妊婦のひと言はこうでした。 「様々な情報があるけれど 全てに共通しているのは“不安を溜めないで”ってことですよね」と。 もちろん、答えはYES。 でも、不安は溜めたからこそ、そこから自由になったことを喜びとして感じるものだし、 マニュアル世代の私たちは 不安を溜めてしまった時点で 「わたしってダメだ、いけないってわかっていたのに不安を溜めちゃった」 と、よく分からないダメだしをして いらぬ強張りを覚えそうでこわいな、と思ったのでした。 情報だけじゃ、ハウツーだけじゃないから ちゃんと伝えることは難しいなぁと思います。 不安や痛みに泣いた昨日を どんな色にしてゆくかは 今日の過ごし方で変わってくる。 思い出の色をどうするかは 自分次第、過ごし方次第で変わるものだと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 3, 2009 09:59:51 PM
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