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カテゴリ:杉山千佳(子育て環境研究所)
杉山です。
用心深く読みたい本を選んで、読み進めていくと、 「うわーここで、ぶつかりますかー!」ということ が多くて、びっくりするやら、うれしいやら。 今回ご紹介する、 『南方熊楠 萃点の思想』 鶴見和子 藤原書店 は、もう、まさしくそんな本でした。 まず、なんてったって、本の装丁が美しい。 で、編集構成がすばらしい。 しかも、注釈を同じページの下の段にとってある ので、わざわざ後ろを引っ張り出さなくても、 すぐ読める。 「いい仕事してますねー」 もともと、河合隼雄さんの対談のなかに、「曼荼羅」 のことが紹介してあって、内心「これだ」と思って いたので、誰が探っているかなーと、思っていた ところに、どうも鶴見和子さんが匂う・・・と思い、 アタリをつけていたのでした。 (『南方熊楠ー地球志向の比較学』参照) で、読んでいくと、中村元さん、当然ながらブッダ にチベットにインドで、空海で、おっと神谷美恵子 さんのご主人まで登場。しかも母校の大学の当時の 学長さんまでちらりと出てきて。 「ご縁」を感じる次第です。 なぜ「曼荼羅」かというと、このところ価値観の 違う人たち、或いはコミュニティなり、国家なり が本当にわかりあって、調和を目指すには、どう したらいいんだろう?と思っていて、その方法論を 探していたわけです。 西洋の思想は二元論だから「これとこれは違う」と 違いを明らかにして、自分と違うものはバッサリ 削除・・・というところがあるんだけど、 そうじゃなくて、多様性が本当に活かされるには どうしたらいいんだろう?と、思っている人は、 別にわたしだけではなく、わたしなんかよりずっと 前に、鶴見和子さん、あるいは南方熊楠がその課題 にガップリと取り組んでいた! ということが、とてもよくわかり、本当にうれしく なりました。 お二人ともその、ガップリ取り組み方が半端ではなく。 熊楠の取り組み方の半端じゃないところは、 やっぱりこの本を読んでもらって、 「こんなすごい日本人がいたのか!!」と、 びっくりするしかないのだけど、 膨大な熊楠の仕事を再検証して、「最新かつ最高の 南方熊楠論」を書くにいたった、鶴見さんという方の 研究姿勢に、まったくもって脱帽もしてほしいと、 思うのです。 (熊楠が投稿していた英語圏の研究誌の論文など まで取り上げて、しっかり読み込み、熊楠は単なる 奇人変人ではなく、しっかりと理論があったという ことを証明したり、研究者として、ぬかりない仕事 ぶりなのです)。 で、最後に、熊楠研究者のお一人、松居竜五さんとの 対談が収められており、それは、鶴見さんが脳出血で 倒れられた後のものとなっています。 今日は、「何者も排除せず」新しい社会変革ができ ないかと、生涯を通して、研究し、行動した鶴見和子 さんを紹介したく、その対談部分からわたしが気に 入った箇所をご紹介して、終わりとしたいと思います。 松居さんに、鶴見さんは南方熊楠を研究して、 それを自分の方向に引っ張ってきて、熊楠を 自分のために使おうとされていると指摘されて、 「使いたいのよ、私は。自分のために何が有益かと いうことをしょっちゅう考えているの。柳田に ついてもそうなんだけど。」 (柳田というのは、民俗学者の柳田国男) 「いま考えているのは、南方曼荼羅をどのように 内発的発展論の中に取り込むかということなの。 その中では、南方曼荼羅の中で非常に大事なの は「萃点」だと思う。」 (南方曼荼羅とは熊楠が考えた曼荼羅のこと。 様々な異なった活動であっても、その重なり合う ところに「萃点」があると、熊楠は看破) 「萃点は、すべての人々が出会う出会いの場、 交差点みたいなものなのね。そして非常に異なる ものがお互いにそこで交流することによって、 あるいはぶつかることによって影響を与え合う場」 鶴見さんは水俣病の患者さんたちとも交流し、 公害問題、市民活動についても深くかかわって こられています。 その経験からもこの曼荼羅論、あるいは熊楠の仕事 に深く興味を持っているわけですが、確信している のは「辺境からこそ新風」を吹かすことができる、 ということ。 辺境から新しい風ーーこれは南方方式だと思う。 それをいまやっている人たちがいるかぎり、 私はそういう人たちに賭けていきたい (わたしも同じ気持ちよーナカハシさん!) これは負け戦であることは確かですよ。けれども その火を消さないということが、私は大事だと 思う。 そして、そういう動きが、やはり第三世界の核に なっていくと思うの。 それをつないでいく。 そのあたりの感覚が男性と女性では 違うみたいですねと松居さんに言われて 違うわよ。「男一代」というでしょう。 ほんとうに一代のことを考えて、一生懸命、権力 闘争をやったりしてるわけ。 女から見ると、お気の毒さまという感じもしない ではないわね。 もうちょっとゆったりかまえて、自分が死んだ後 どうなるか、そこに希望が持てないかな、と考える のよ。 女と男ととはものの考え方のスパンが 違うんじゃないかなと思うの。 というわけで、しばらくは、熊楠を「萃点」に 彼の周りをぐるぐると、鶴見さんを導き手に たずねあるきたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 6, 2009 05:40:03 PM
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