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カテゴリ:月末男☆西川正(ハンズオン埼玉)
年度末。人事その他もろもろでみなさん大変の中と存じます。
私もです……。一日おくれました。月末すぎた。ごめんなさい。 ●なんで年度末に忙しいかというと、行政の年度が末だから。 で、それにあわせていろいろつくりものをしています。 ある社会問題について「考えて」もらうための冊子をつくっています。 発行主体は行政。 まだ社会の問題として認知されているとは、とうていいえない問題について、可能なかぎりのデータや言葉を集めて、考えてもらおうという趣旨。なかなかの難物。 文字におとしていく作業をすると、想定される読者を「説得しよう」とする私がいることに気づく。こう言うと、こういう反論が来るだろう、では、このデータを示しておけば、読者はこういうふうに流れていくだろう、という想定を可能なかぎりしている自分。 文章を書くということは少なからずそういうことだと思う。 でも、それは読者が「考える」ということにつながるのだろうか?、とふと不安になる。 よくある行政発行の「啓発パンフ」みたいになってしまわないか、と。 ●一般的に私は、行政が発行する発行物を読みたい、とあまり思えない。 誤解をおそれず書くと、人権とか男女共同参画とかの類にはとくに。 それは、なんとなく、あらかじめ決まっている「正しさ」を押しつけられるんじゃないかと疑っているから。読者である自分が介入する余地がない。私には聴かれてない、という感じ。結論は発行物を出す側がすでにもっていて、それを「わかりやすく」伝えてやろうとしている、そんな姿勢を感じたら、私はあまり読みたいとは思わない。 行政発行の冊子が、あまり読まれない理由のひとつには、誰がどんな立場や視線で語っているのか、よくわからないということが大きいのではないだろうか。 「市では○○と考えております」「町としては○○になっています」の「市」や「町」ってなんだかが読み手からイメージがわかないために、読み手としての自分の身の振り方がわからない。つまり、コミュニケーションが起動しない。 わたしはこう思う。あなたはどうか?という図式で発信すること=書き手の主語を明確にし、内容の是非についての判断を読者にゆだねること。そうなっていれば、コミュニケーションが起動する可能性が生まれる。もちろん読者にわかる言葉で書かれていることが前提になる。 発信の主体がよくわからないと、読者にとっては、よくわからい、ということになる。 ●少し余談になるが、 一般的に、行政主導のまちづくりがうまくいかないのも、このためだと思う。まちづくりって、ようするに「よびかけ」で動く関係の連鎖なわけで、それは、よびかける人、とよびかけられる人がいてはじめて成り立つコミュニケーションのはずだ。ところが、よびかける人が単なる組織から与えられた職務として発信していると、よびかけられる側からはいまいち「誰が」「なぜ」よびかけているのか、その主語とゆえんがよくわからないということになる。 コミュニケーションが成立しないわけだから、だれも動いてはくれない、ということになる。(なので、あらかじめお金や利益を配分した組織に動員を要請してごまかすことになったりする。) ●最近、大きな企業などが、twitterを使いはじめていて、その広報効果が話題になっている理由もここらへんにあるように思う。 「誰が」発信しているのか、がtwitterの場合とてもわかりやすい(わかりやすいように見える)。 たとえば、NHKやTBSなどの広報担当者の「つぶやき」をちらっと見ていただけると、NHKやTBSの印象が少しかわると思う。 NHKさん http://twitter.com/NHK_PR TBSさん http://twitter.com/tbs_channel テーブルマークさん http://twitter.com/katokichicoltd 組織と見えていたその向こうに人がいる気配が伝わってくる感じ。 それが組織の意図として行われているのかもしれないので、しくまれた親密感か?と思い、微妙な気分にもなるが、それでも担当者のつぶやきの中に、ぎりぎりアウト(笑)のはみだしつぶやきを見つけるとうれしくもなる。NHKでここまで言うかと。そのうれしさが、好きにつながっていく気がする。 ●何を言うか、もだいじだが、誰が、誰に、なにゆえ、どのように、のほうがよりたくさんのことを伝えていく。コミュニケーションが起動するかどうかは、ここで決まる。 いまつくっている冊子が、結論をおしつけることになっていないか、が気になる。おしつけと感じた瞬間、人は反発するか、気持ちが離れる。つまり考えてはくれない。 こちらは、もうわかっている人、そのわかっている人が、わかっていない人にわからせようとつくる冊子と、読者の眼にうつったらもう終わり…… 正しさは、人を遠ざける。このことは、市民活動やNPOをすすめていく立場として、いままで痛い思いをたくさんしてきた。 たぶんNPOが嫌われる理由~。 だから文章の書き出しが一番ふんづまって、悩むことになる。 もちろん、冊子を発行するのは、考えてもらいたいことがあるから。そこには発行者(私をふくめ)のメッセージがある。しかし、その問題を考える主体は読者。 コミュニケーションが成立するのかどうか。 このことを何度も何度も思いながらつくらねば。 と思うと、やっぱり思い切って読者は誰なのか、を絞りに絞ってつくらなけらばいけない、ということになる。読者の目線にたどりつけているかどうか。 行政はしぼってはいけない、というたてまえがあったりするから、さらにむずかしい。 ●そういえば、このブログも誰向けに書けばいいのか、よくわかってないことに気づき不安になる(笑)。 しちめんどくさい文書を読んでくださったあなたに感謝。 今年度もよい年度でありますように。 年度末おじさん にしかわでした。 まとまらない文章のおわびに、最後に最近、考えるをめぐって西村佳哲さんが書かれた下記の文章をご紹介しておきます。こんなふうな『考える』の種を植えてみたい。 ------------------------------ 考えるとは腕組みをしてウーンと唸ることでもないと思う。 道を歩いていて、あるいは本を読んでいて、「あっ、そうか!」と、頭の中で離れた場所にあったなにかとなにかがつながる瞬間を思い返してみると、『考える』とは「自分が気にしていることや、わからないことを、決して忘れずにいることである」ということに思い至る。自分の「わからなさ」や「明らかにしたい」という気持ちを心の片隅や念頭にやんと置いたまま、忘れずに生きてゆくこと。 『自分の仕事を考える3日間』西村佳哲著 弘文堂 ↑ 西村さんの本は、どの本も子育て支援者のみなさんにもぜひおすすめです。 (低賃金または無償で働いているスタッフの方もおおいでしょうから、仕事ってなんだ?と考えてみるよい機会になると思います) 西村さん→http://www.livingworld.net/nish/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 1, 2010 01:18:48 PM
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