カテゴリ:考えごと・所感
この間、タクシーの運ちゃんに、
日中の関係について聞かれたことを書いたが、 友人から、 「1972年に周恩来首相と田中総理が乾杯をした。 だから今、私は中国にいる。 私は日本の総理大臣を信用しているが あなたは周恩来のことをどう思っているのだ? 戦争は不幸なことですが、既に歴史です。 政治のことは日中両政府に任せませんか?」 と言えばよい、とアドバイスを受けた。 このように言えば、大概の中国人は沈黙するらしい。 「政治のことは日中両政府に任せたい」というのはつばめも同感ですが、 この中国人の沈黙には、何が隠されているのでしょうか。 例えばアメリカ人が広島に来て、原爆碑の前で 「アメリカの原爆投下は歴史的に見て正しかった」 とすっきりと言い切り、 「アメリカ人は、原爆投下して戦争を終わらせ、 その後の日本発展にも貢献したのだ」 と開き直ったような態度でいられると、 日本人としては、やっぱり何か心に引っかかる気がするのです。 これがたとえ事実であったとしても、被害者の前で それを堂々ということは、配慮に欠けています。 こういう問題は、理屈ではなく、感情の問題なのでしょう。 1972年に日中の代表が乾杯したことも事実だし、 歴史はすでに過去のもので、変えられないことも事実です。 でも、こういう理屈を日本人に堂々と言われると、 中国人にとっては、何かすっきりしないものを 感じるのではないでしょうか。 理屈では言い返せませんが、 感情的になんとなく納得しがたいのです。 日本人だからといって、中国人に会うたびに 過去の歴史を謝罪し続けることは必要ないと思います。 ですが、 「日本が中国を侵略したのはすでに過去だ」 とか、 「自分が中国にいて何が悪い」 的に開き直るような言動は、やはり中国人の気持ちを 逆なでするものであり、相手の感情への配慮に 欠けていると思います。 逆に中国人の人には、 「過去の侵略者のくせに、なんで堂々と中国にいるんだ」 とか、 「過去の歴史について懺悔せよ」 とかいう風に、 中国にいる日本人をいじめないでほしいと思います。 「日本人は嫌いだ」などと言って、 日本人をブルーにさせたり、日本人に 悪意を持って接する人は、今もいます。 過去、日本が中国に悪いことをしたのかもしれませんが、 だからといって、今、日本人をいじめていい理由には なりません。 「嫌いだ」という感情を訴えられても、 日本人としてはどうしようもないし、 そこからは何の交流も生まれないのです。 「嫌いだ」と思うな、とは言いませんが、 それを日本人の前で堂々と口に出すのは どうなのですか、と言いたいです。 友人の言うように、日中の代表が仲直りの乾杯を交わし、 国交回復を果たしたから、日本人が中国に来られるように なったのです。別に日本人が中国にいるからといって、 日本が過去を反省していないわけでもありません。 友好関係があるから、人の往来があるのです。 中国に来ている日本人の多くは、中国に興味や関心を持つ 人たちです。そういう日本人に、悪意を向けるのは やめてほしいです。 日本人は、卑屈になる必要はありませんが、 開き直るのはやめましょう。 中国人は、過去の歴史問題を持ち出して、 個人的に日本人を攻撃することはやめましょう。 国と国との問題は、利害関係もからんできますので、 簡単にはいかない部分があります。 でも、個人同士のお付き合いで、国と国とのことを ことさら大きく持ち出す必要はないのではないでしょうか。 相手に笑顔を向けると、相手からも 笑顔が返ってきます。 中国人も日本人も同じ人間です。 お互いに交流を求める気持ちでお付き合いができたら いいなあ、と思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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