カテゴリ:考えごと・所感
「血と肉」「冬の旅」は確か、
ともに在日コリアンの作品。 なぜこのような本に興味を持って購入したのかは 忘れたが、思うにつばめ、昔からなぜか マイノリティー問題に興味を持っていたように思う。 発端は小学校の道徳の時間。 部落問題や在日韓国・朝鮮・中国人問題などを習い、 子供心に非常に興味を持ったのを覚えている。 うちの父は戦前生まれで、 中国人や韓国・朝鮮人のことを 「チョンコ」「チョーセン」と呼んで、 明らかに差別していた。 小学校で差別はいけないと習って帰ったつばめ、 このことで父と激しく討論したのを覚えている。 私が通った大阪私立大学というのも、 川をはさんで向かい側に部落があり、 また多くの在日コリアンが住んでいる市だけあって、 「部落問題論」「民族問題論」「障害者問題論」などの 一般教養科目が充実していた。 そこで朴一教授に民族問題を習い、 大学を卒業し、社会に出てからも 市が主催の野村進さんの「コリアン世界の旅」を読んで、 毎回ゲストから話を聞く会などに参加したりしていた。 そのゲストの先生に、朝鮮族の中国人の方がいらしたのだが、 先生に、 「ご自身では、自分のことを何人だと認識していらっしゃるのですか」 なんていうぶしつけな質問をしたりもしていた。 その頃からずーっと持っていたのが、 「人間のアイデンティティーはどこから来るのだろうか」 という疑問。 日本に生まれ、日本で育ち、日本国籍を持っている人は、 ごく自然に、自分は「日本人」というアイデンディディーを持って それを疑いもしないと思うのだが、 世の中そんな簡単じゃない境遇に生まれた人も少なくない。 日本で生まれた在日コリアンもそうだし、 中国の朝鮮族なんかも微妙である。 日本では在日コリアンはマイノリティーに入ると思うが、 なぜそんなところに興味を持ちつづけたのだろう、と 考えるにつけ、 「どこかで、『自分はマイノリティーだ』という認識があったのだ」 という気がしてくる。もしくは、 将来外国で、マイノリティーとして暮らす自分を、 どこかで予測していたのかもしれない。 実際、つばめは中国人と結婚して、 中国で暮らしており、こっちでは 日本人はある意味マイノリティーと言える。 それでもつばめ自身は、「日本人である」という アイデンディディーははっきりと持っているが、 もし子供が生まれたらその子はどういうアイデンディディーを 持つようになるのか、というのが、 目下つばめの興味の赴くところ。 マイノリティー(少数派)というのは、 何かにつけ差別されやすいが、 結局、みんな一人一人違うのだから、 みんなマイノリティーと言えば そうとも言えるのだ。 今中国で暮らし、今後もおそらく中国で 暮らしつづけるであろうつばめにとって、 在日コリアン達の置かれている立場というのは、 結構身近に感じられる部分もある。 それにしても。 私は大阪に生まれ育ち、 コリアン問題にもそれなりに興味を持ってきたが、 「血と肉」を読んで、私の知らない大阪を 突きつけられた気がした。 毎日大阪の空気を吸っていたのに、 全然見えていなかった世界。 自分が見ているものだけが 世界ではなかったのだ、と 思い知らされた気がする。 どん底に生きる人間の生活のすさまじさと そんな中にも伝わってくる人間の暖かさ。 あー、なんかまとまりなく書いてしまいましたが、 お許しください。 なんだか今日はちょっと、 感慨に浸りたい気分なのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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