カテゴリ:日中時事
尖閣諸島の帰属については、
国際法の手続き上は日本のものだというけど、 尖閣諸島を日本の領土に組み入れる過程が そうクリーンなものだったかどうかは疑わしいと思います。 日本は釣魚島に対する領有権の「根拠」として、 1885年から再三にわたり現地調査を行い、 尖閣諸島が無人島であり、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを 確認した上で、閣議決定により正式に日本の領土に編入したとしていますが、 (外務省HP「尖閣諸島に関するQ&A」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html) 「人民網日本語版」2012年7月28日の 「釣魚島問題で歴史的根拠がないのは一体どの国か」 http://j.people.com.cn/94474/7891234.html では、 明治政府は日清戦争の前、釣魚島に対する秘密調査を行ったが、「該島に関する旧記書類およびわが国に属せし証左の明文又は口碑の伝説等もこれ無し」との最終結論を得ている(上の写真を参照:沖縄県知事・奈良原繁から内務省県治局長・江木千之に宛てた調査報告。1894年5月12日)。さらに「日本外交文書」第18巻の記載によると、日本政府は1885年の調査の結果、「これらの無人島が中国に命名され、清朝の冊封使にもよく知られている」ことを認識しており、「軽率な行動はできない」としている。 歴史的なターニングポイントとなったのは1894年の日清戦争だ。明治政府は日清戦争の勝利が決定的となった1895年1月14日、「当時と今とでは事情が異なる」として10年間狙ってきた釣魚島を沖縄県に編入することを閣議決定した。 (中略) その後、侵略戦争中の1938年になって、外務省文書で国際法の「無主地の先占」によって釣魚島を領有したと明らかにした。 (中略) 日本は中国の「無人島」を「無主地」と勝手に言い換え、釣魚島を不法に占領した。 と述べています。 確かに、「無人島(人が住んでいない島)」と 「無主地(主のいない土地)」では意味が違いますね。 日本政府は、尖閣諸島が「無人島」であることは調査で確認したというけど、 本当に「無主地」であるときちんと確認は取れたのか。 どういう状態を「無主地」と呼び、 日本はどういうふうに尖閣の「無主地」を確認したかが つばめには分からないので何とも言えませんが、 少なくとも、歴史的には、どうやら中国のほうが 先に発見し、命名し、琉球国との往来などに 目印として利用していた島であったことは確かなようです。 尖閣諸島は歴史的にみれば、当時「無主地(?)」だったとはいえ、 先に中国の息がかかっていた島嶼であり、 日本は日清戦争の勝利が確実になった時勢に乗じて 我が国の領土に組み入れました。 ≪参考資料≫ 「人民網日本語版」2012年7月28日付「釣魚島問題で歴史的根拠がないのは一体どの国か」 「人民網日本語版」2012年8月7日付「日本は対抗を選択しても挫折感を深めるだけ」 「人民網日本語版」2012年8月8日付「釣魚島問題:猛進と沈着を兼ね備えた日本に警戒せよ」 「人民網日本語版」2012年8月17日付「日本は釣魚島防衛船の象徴する中国の民意を直視しなければならない」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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