新元号「令和」の出典は国書!と威張って言えるのか
4月1日午前11時40分、菅内閣官房長官により、日本の新しい元号は「令和」と発表されました。つばめの個人的な第一印象は、「和」に昭和に戻ったようなレトロな感じを受けるとともに、「令」の響きはちょっとおしゃれでキレイだな、というものでした。しかし、「命令」を思い起こさせる字が元号に使われたことはやや意外。漢文的にはレ点を使って「和せ令む」とも読めるようであり、その使役的な意味合いがなんとなく「和」とマッチしないようにも思えました。出典は『万葉集』巻五、梅花の歌三十二首并せて序とのことで、歴代で初めて漢籍ではなく日本の古典(国書)から元号が選定されたとのこと。初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす「令」はここでは命令の意はなく、「令月」は「如月(きさらぎ)」ともいい、何事をするにもよい月という意味なのだとか。それはよいとして、新元号発表直後から、先日の170名の中国人日本学者を主とするチャットグループではブーイング続出。万葉集のくだんの箇所は、万葉集から遡ること数百年、中国漢代に書かれた『帰田賦』(張衡,138年の作)と酷似しており、万葉集巻五梅花の歌三十二首の序文は、これを借用して書かれたものにすぎないというのだ。『帰田賦』節選 張衡於是仲春令月,時和氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。王雎鼓翼,倉庚哀鳴;交頸頡頏,關關嚶嚶。於焉逍遙,聊以娛情。『帰田賦』では、「於是仲春令月、時和気清」で、『万葉集』では、「于時初春令月、気淑風和」となっている。万葉集巻五梅花歌三十二首并序万葉集巻五梅花歌三十二首并序 posted by (C)つばめ確かに、少し違うのだが、『万葉集』のこの部分の序文を書いた人物は、当時の知識人として当然漢文の素養があるはずで、この『帰田賦』を踏まえてこれを書いた可能性は大いにある。(っていうか、ほぼ確実じゃないでしょうか。)実際、日本の著名な万葉集研究者たちの手による新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店)もこの『萬葉集』巻五梅花の歌の序文の補注で中国の『帰田賦』との関連を示唆している。新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店,2017) posted by (C)つばめだいたい、『万葉集』のこの序文自体が漢文調で書かれており、これをもって、日本の国書だと威張って言うにはあまりにも中国文化の影響を受けすぎています。梅の花だって、中国大陸からもたらされたものです。そもそも日本は文字表記自体、中国から教わったわけですし、別に中国文化の影響を受けていたっていいわけですが、安倍首相があまりにも、歴史上はじめて国書を典拠とする元号だとか日本が誇る香り高き文化がどうたらとか強調したために、「中国の替え歌バージョンみたいなものから元号をとってきて、 日本オリジナルのもののように喧伝するのは、そりゃあんまりだろ」と中国人学者たちに突っ込まれるところとなったわけです。安倍首相、万葉集をまるで日本のオリジナル文化であるかのように誇らしげに語るのはかえって嘘っぽく、日本の信用性が落ちて本当に恥ずかしいのでやめてください。ついでに、日本の首相が「世界にひとつだけの花」を挙げて国を語ったのも、隣国で失笑を買っていました。(字面はきれいだけど、具体的にどういうことなのか不明だし。。。)日本はオンリーワンの魅力を持つ国であってほしい、これからもよい国であり続けてほしい、と願っていますが、なんだか、他国文化に依拠しながら他国の目に自己の発言がどう映るかをまるで意識していない自国だけの自国褒め(これを自惚れという)に陥っている部分がなきにしもあらず、と思えて、安倍首相の発言を聞くにつけ、母国の将来がなんだか心配になってくるつばめなのでした。↓北京明城墙遺跡公園で色んな種類の梅を鑑賞。 「悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然」を 感じてきました(笑)。梅1 posted by (C)つばめ梅2 posted by (C)つばめ梅3 posted by (C)つばめ梅4 posted by (C)つばめ梅5 posted by (C)つばめ梅6 posted by (C)つばめ「令和」時代は、安倍首相の言うところの「梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる」輝かしく誇らしい新時代となるのでしょうか。確かに、希望だけは捨ててはなりませんね。「令和」の由来はともかくとして、新しい時代がよい時代となるよう祈りたいと思います。