(「昨日は9.18記念日でした」の続き)
こうしてつばめと子供たちの9.18は、
普段通り何事もなく過ぎて行ったのですが、
しかし、この日が何事もなく過ぎたと
ほっとしているだけではなく、
本来なら、日本の過去の侵略戦争を反省し、
被害を受けた中国人民に思いをいたす日だったなぁ、
と後になって思いました。
多くの日本人も9.18のこの日、
中国のデモ隊の様子を見て、
やっぱり中国は、そして中国人はろくでもないと
憤っていたのではないでしょうか。
しかし、尖閣諸島の件と9.18の満州事変のきっかけとなった事件とでは
事件の重みが全然違うのであり、せめて9.18が何の日だったかぐらい
思い出してもいいのではないでしょうか。
最近の日本は、過去への真摯な反省というのを忘れている
ようにみえます。
つばめが学生の頃に受けた歴史教育は、
「日本は過去の誤った侵略戦争によって
近隣国に甚大な被害を与えた」
という点で統一されており、
つばめは中国・韓国を旅行した際には
もし過去の戦争のことを持ち出されたら向ける顔がない、
とにかくこうべを垂れて非難を受けるしかない、
とちょっとした恐れを抱いていたぐらいです。
今になって思えば、過去の何がどう過ちだったのか
ということについてはあまり詳しく習わないのに、
(近現代史は、「時間がないので自分で教科書読んで
勉強しとくように」という感じで、詳しく教えられなかった)
罪悪感だけが先行していた気もしますが、
日本が侵略戦争を起こし、近隣国に大きな被害を与えた
という認識に揺れはなかったと思います。
それがここ10年ほど前から
日本の歴史観に変化が起こってきた気がします。
謝罪と反省を繰り返しても近隣国には永遠に言われ続けるという
その現状に嫌気がさしてきて、また
反省のみの歴史観では国民に愛国心が育たない、
などと言い出す人も出てきて、
「過去の歴史は不幸だったけど、
日本も当時の時勢では仕方がなかったのだ」
という半分自国擁護のような歴史観が醸成されてきました。
そういう日本の思いも分からないではないですが、
「もう反省はやーめた!」というこの変な開き直りが、
近隣諸国には危うく映っているのではないでしょうか。
反省をしないということはつまり、
(消極的に)過去の侵略戦争を肯定していると
とらえられるからです。
デモ隊の横暴さに憤り、
中国政府が人民をマインドコントロールしている、
と憤るのもいいですが、
それでは自国は果たしてちゃんとした方向に進んでいるのか
と振り返ってみる必要があるのでは、と
つばめは思います。
P.S.
なお、この日記には多くのコメントをいただきましたが、
それに対するつばめの返答は、
9月27日「9.18の日記について反省しています」
9月29日「つばめのブログは中国擁護&日本批判!?」
10月1日「それでも中国と付き合っていかなければならない」
に書かせていただいております。
また、尖閣国有化については、
9月22日「日中それぞれ不都合な事実を隠している(中国の隠し事編)」
9月23日「日中それぞれ不都合な事実を隠している(日本の隠したいこと編)」
9月26日「日本は尖閣国有化を実現したけれど・・・」
等につばめの考えをまとめてあります。