最近、尖閣諸島のことについての日記が続いて、
ちょっと飽き飽きかもしれませんが、
つばめも書きながら自分の考えを整理しておきたい
気持ちもあるので、もう少しお付き合いください。
9月10日以来現在まで、中国青年新聞の一面に
尖閣諸島についての記事が載らない日はなく、
また毎日特集記事が組まれ、尖閣のあれこれについて
かなり詳しく記述されています。
ここ数日、それらを読んでいて感じたことは、
「なるほどー、日本も中国も、それぞれ
自国の都合の悪い部分は隠しているんだなぁ」
ということ。
中国側メディアでは、尖閣は歴史的に中国が
先に発見、命名、利用していた点、
そして日本が尖閣諸島を日本領に組み入れる際に
その島々は決して「無主地」ではなかったということについては
ものすごく詳しく記載されているのですが、
日本が実効支配を始めてからの中国の対応については、
国民に知らされていません。
中国が1895年の日本の実行支配開始以来、
70年以上もそれに異議を唱えてこなかったこと、
1970年代、尖閣付近で石油が採れると分かってはじめて
領有権を主張し始めたことなどについては
中国メディアは全く触れません。
また、1953年1月8日の人民日報記事
「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」の前半部分には
琉球諸島は尖閣諸島を含む7組の島嶼からなる旨の記載があり、
後半部分では「琉球は日本人民が独立、民主、平和を勝ち取る闘争と
切り分けることができない」と書かれていること、
1960年に中国で発行された中国世界地図集では、
尖閣諸島が沖縄に属するものとして扱われていること、
これらのことから、中国政府は1950、1960年代に至っても
尖閣を日本領と認識していたことが読み取れますが、
そのことについても国民に伏せられています。
それどころか、
日本の実行支配に対して中国は抗議をした、
沖縄がアメリカの施政下に置かれた際、
そこに尖閣諸島が含まれていることに抗議した、
沖縄がアメリカから日本に返還された際、
そこに尖閣諸島が含まれていることにも抗議した、
と証拠のない主張をしています。
また、「尖閣諸島は日清戦争後に締結された馬関条約(下関条約)で
日本への譲渡が決まった台湾及びその付属諸島嶼に含まれる」
とこれまた嘘を国民に触れこんでいます。
尖閣諸島が日本の領土に組み込まれたのは
日清戦争終結前の1895年1月14日のことであり、
1895年4月17日に締結された下関条約で、
中国から日本に譲渡される領土に
尖閣諸島が含まれることはありえないし、
第一、下関条約で日本への譲渡が決まった島々は、
清朝側の要求により、地図の形で双方確認をした上で
条約締結されたのであり、
そこに尖閣諸島が含まれていなかったことは、
日中双方に明らかなことなのです。
また、国際法廷の今までの判例からして、
1.先に発見した者が主権を有するとは限らず、
有効な統治があって(領有権は)成立する
2.長期間放置は権利放棄とみなされ、領有権は相手国のものになる
ということが言え、国際法廷で争っても、
中国にほとんど勝ち目はないということも、
一般の中国人にはあまり知られていないことだと思います。
→日中それぞれ不都合な事実を隠している(日本の隠したい事編)に続く