では、日本は隠し事をしていないかというと、
日本は中国のように言論統制できる国ではないので、
完全な隠し事というのは難しいかもしれませんが、
中国が詳しく主張を展開している点については、
日本の外務省の公式見解では積極的に触れられてはいません。
(中国側の主張としてさらっと紹介はされている部分はある)
それはつまり、尖閣は歴史的に中国が先に発見・命名・
利用していたという点、
そして日本が尖閣諸島を日本領に組み入れる際に
その島々は「無主地」と呼べるかかなり微妙だったという点、それに日本が尖閣の日本組み入れを決定した閣議は非公開であり、尖閣組み入れは周辺国に知らされず秘密裏に行われたという点です。
日本は、「尖閣諸島は日本固有の領土だ」と主張していますが、
歴史的にみれば、1884年以前の日本の尖閣の歴史はほぼゼロです
(1894年5月12日、当時の沖縄県知事から
日本の政府当局に宛てた尖閣諸島の調査報告に、
「該島に関する旧記書類およびわが国に属せし証左の明文
又は口碑の伝説等もこれ無し」と記載されている)。
それに対して、中国はその何百年も前から島々を発見して命名し、
琉球との往来などに利用していたのです。
それは数多くの文献によって明らかなことですが、
日本外務省の公式見解では、
それらは中国による尖閣諸島の領有を裏付けるに足るものではない、
と軽く一蹴しています。
しかし「日本外交文書」第18巻の記載によると、
日本政府は1885年の調査の結果、
「これらの無人島が中国に命名され、
清朝の冊封使にもよく知られている」
ことを認識しており、
「軽率な行動はできない」としています。
中国側の資料はさておき、自国の資料から見ても、
尖閣諸島は先に中国の息がかかっていた島嶼であることは
否定できない事実だとつばめは考えます。
日本側は、尖閣諸島が中国に先に発見、命名、利用されていた
という点は、認めなければならないと思います。
現在の国際法廷では、
「先に発見した者が主権を有するとは限らず、
有効な統治があって(領有権は)成立する」
とみなされるようですが、19世紀時点では、
先に発見した国が領有権を有するというのが
当時の常識だったのではないでしょうか。
もしそうであれば、先に発見した国が領有権を取得したことになり、
どちらの国が先に発見したかが重要になってきます。
当時尖閣諸島が本当に「無主地」だったかどうかについて、
さらに検討します。
1885年から1893年にかけて、
沖縄県は三度にわたって尖閣諸島の釣魚島、
久場島、大正島を沖縄県の管轄に組み入れて
国家標識を立てたいと日本政府に申請しましたが、
当時、日本側のそういう動きに中国が反応しそうだったため、
日本政府はそれを却下せざるをえませんでした。
これも「日本外交文書」に記載されていることです。
上記の事実は、
「1885年から再三にわたり現地調査を行い、
尖閣諸島に清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認した」
という日本外務省の公式見解と矛盾している気がします。
明らかに支配が及んでいるという証拠はなかったにせよ、
尖閣諸島は多分に中国の息がかかった島だったことは確かで、
それゆえ日本は簡単には手出しできなかったわけです。
これらのことから考えて、日本は、
先に中国に発見・命名・利用されており、中国におもんばかって
1885年の調査開始から10年間手出しできなかった尖閣諸島を、
1895年に入って日清戦争の勝利が確実になった時勢に乗じて
尖閣をうまくわがものにしたというほうが
事実に近いのではないかとつばめは考えます。
しかも、尖閣諸島の日本領組み入れの決定は非公開の閣議でなされ、
中国が名前までつけて利用している形跡があることを知りながら、
その決定は「尖閣諸島を今まで領土とした国がない」という理由で
周辺国には伝えられなかったのです。つまり尖閣の日本領組み入れは秘密裏のうちに行われたのです。そして、日本の実行支配開始から43年後、これまた戦時の混乱中で尖閣諸島どころではなかった1938年に、日本は外交文書で尖閣諸島の領有を明らかにしました。
日清戦争で負けが確実になりつつある1895年初頭に
清国が尖閣諸島を「有効に」支配していたかどうかといえば、
それはしていなかっただろうと推測され、
そこに日本が「無主地だ」と主張する余地が生まれるわけですが、
日本外務省の公式見解も尖閣諸島が「無人島であった」点については
触れていますが、そこが「無主地であった」という書き方は避け、
「清国の支配が及んでいる痕跡がない」という言い回しに
しているのも、そこにかなりあやしい点があるからでは
ないでしょうか。
尖閣諸島は誰も発見・命名していない
まっさらな土地だったわけではなく、
前後の状況から考えて、日本の領土組み入れが
決してそんなきれいなものではなかったことが推測されます。
しかし中国は、1938年に日本が外務省文書で尖閣諸島の領有を明らかにした後も
1970年代になるまでずっと日本の尖閣諸島実行支配を放置し続けたわけで、
「長期放置は権利放棄とみなされ、領有権は相手国のものになる」
という国際法廷の判例に照らしても、
尖閣諸島が日本領であることは変えようがない事実だと思います。
中国国民は、尖閣諸島は歴史的に中国が先に発見・命名・利用しており、
当時の慣例からすれば先に発見した中国の領土であり、
日清戦争の時勢に乗じて日本にかすめとられたのだ、
という視点から物事を考え、
日本国民は、尖閣諸島は1895年に
清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認して
正式に日本に組み入れられ、それ以降ずっと
尖閣を有効に支配してきたのだから
日本の領土であることに疑いはないという視点で物事を考えます。
それぞれ持っている情報が全然違うので、
話は平行線でかみ合わないのは当然です。
どちらも自国に有利な事実を中心に論を展開するので、
国民はそれぞれ自国の主張が100%正しいと信じがちです。
つばめの結論は、
「結局尖閣諸島は日本の領土です。
でもそうだからといって、日本が100%正しいという
強硬姿勢で中国に挑むのはいかがなものか。
事情も事情だし、第一それは日本の利益にはならない」
ということです。
以上をもって、つばめの尖閣諸島に関する考えの
まとめとしたいと思います。