海外に移住した人、国内に残る人
この間髪を切りに行った時に、韓国人の友達としていた会話の中で、美容師さんは昔の人みたい、という話が出ました。何年前に美容師さんがアメリカに移住してきたのか分かりませんが、分からない話ではない。どこの文化、社会でも常に進化している。「ゆく川は絶えずして、しかも元の水にあらず」(方丈記)でございます。けれど、途中で海外にでてしまうと、自分の知っている本国の文化、社会はそこでストップしてしまう。その後の進化についていけなくなる。なので、例えばこの間の美容師さんにすれば、女性で仕事を持っている人は少ない時代に、きっちりした格好でやらないと、男社会で男と張り合ってやってけない。ので、技術はしっかりしているし、当時のきっちりした格好のままだ。けれど、時代と共に、何がきっちりした格好か、変わってくる。また、女性の社会進出が進めば、だんだん格好にうるさく言わなくなってきもする。そうして、彼女よりも最近韓国を出てきた人が彼女に出会うと、わー、昔の人みたい、という印象を受けることになる。が、こうした現象は別に韓国に限ったわけでもないし、日本でもある。その昔、サンフランシスコの墓地にいったことがあります。墓地は、日本人墓地とか、イタリア人墓地とか、民族が固まっているところがある。その中の日本人墓地を見ると、すごーく、時代物なんです。今の日本だとかなり田舎にいかないとないぞ、と思われるスタイルの墓地形式です。いつの頃だと一般的だったの?といわれると、お墓の専門家ではないので、何ともいえないのですが、サンフランシスコだと最初の世代はきっと20世紀初頭、日本人の移民の最盛期は1920年代であろうから、多分その頃には一般的だったと思われます。けれど、今の日本だと、公園墓地とかが大分普及してきているので、わー、古ーい、と今の人は思う。しかも、日本と違って、だだっ広いアメリカの地にあって、わざわざせせこましくしなくても、と余計なおせっかいまで思うのであります。他の例でいえば、昔の私のルームメイトはパラグアイ出身ですが、日本人移民の二世です。なので、一代前の日本社会の中で育ってます。話していると、文語的な表現がでてきます。直してって言われるのですが、一つだけ、面白くって直してない彼女のくせがあります。(ごめん)それは「われわれ」。普通の会話で私たちのことをわれわれといいます。面白いので、直せなかった。他にも、彼女のパラグアイでの話を聞くと、そういう事例はでてきます。例えば、青年会とか婦人部とか。盆踊りでは、日本人家庭総出でご飯つくりとかしてたらしい。少なくても、東京で育っている限り、ないです、そういう経験。後は、ヴァージニア州に日本のお寺があります。で、そこで盆踊りを毎年やってます。一度いってみたが、今の日本の感覚で行くと、かなり違う。ま、盆踊りはローカルルールが多々ありますが。まず、食券制。食べ物が、和物がほとんどない。(かなりさみしい。点心ってどうよ?)地域の唄がないので、日本から盆踊りを教える人たちを呼んでくるのはいいが、多分檀家?の出身地域が異なるためか、北海道と沖縄等の盆踊りをしてみる。みんなの要望にこたえるためか?あまりに多くの種類の唄をカバーするため、飛び入り参加で踊っている人たちは2,3回でやっと覚えたと思いきや、新しい曲に変わり、超混乱状態。(所詮、みんなで踊れる曲など、3曲程度なんだから、それでまわせばいいのに)ノルマ達成後、なぜか、盆踊りは終了し、和太鼓ショーが始まる。あれ?みんな、地べたに座って、ちんとして地域の子供たちの和太鼓の練習の成果を聞く羽目に。さらに、なぜか、脇では、サイレントオークションなどがあったり。え?違うんだよ~。