「死」という概念
相方の祖母が亡くなった。98歳。3号の曾祖母。3号は入院中の曾祖母のお見舞いに行くのを何故か楽しみにして「お見舞い行く」とよく言っていた。亡くなる1週間前にも「お見舞い行く」とかなりしつこく3号が言っていたので相方、3号と3人で病院へ。もう、ここ1年ほどは問いかけにもほとんど反応が無いような状態だった。危ない、と何度も病院から言われながら何度もそれを乗り越えてきた生命力の強い祖母。亡くなる1週間前に言った時には明らかに今までと違った感じがした。そして、とうとう。昨日、親族のみで見送りをした。その一部始終を体験した3号。曾祖母の亡骸にお別れをし、火葬場でお別れをした。「おばあちゃんは煙になって空に上って星になった」と伝えた。「死」という物だけは経験として教えることはなかなか難しい。言語だけでは理解が難しい3号。曾祖母の「死」を体験して、その意味を少しでも理解できただろうか。 いつかは皆迎える「死」恐れずに、静かに、そのときを迎えられるように。それを伝えるのも親の役割だと思う。「死」という事を理解できずに親がいなくなった事を「捨てられた」と思ったり、ずっと来るのを待っていたりする場合もあるそうなのだ。それは当人も親も余りに悲しすぎる。だから、きちんと亡くなった人とのお別れをすることは自閉症などの知的障害のある人にとっては必要な事だと思う。 相方の祖母には寝たきりになってから色んなことを教わったと思う。終末医療について、自己選択について、葬式やお墓の事。老いが来る前に、ちゃんと準備してどうしたいのかを残しておこうと思う。 おばあちゃん、お疲れ様でした。そして、、、ありがとうございました。合掌