ちょっと疲れてきたかも。
別に具合が悪い、というわけではないけれど、なんか、気を張りつづけていたせいか、ちょっと疲れた気がする。自分に尿道結石と胆石がたっぷり見つかって、いつ、激痛が起きて、即手術になるかもしれない、とドキドキしていたところへ、今度は、母の脳梗塞。ベッドマットを電動リクライニングに取り替えて、母の部屋からトイレまでの「トイレ標識」をたくさん作って貼り、足元の危ない物をどかして、杖がなくても行けるような手すりを確保。今日は、母がいつも座ってテレビを見る場所から、庭の花や、門から入ってくる人がよく見えるように、木を強剪定しました。私が15年くらい前に植えていたサラサウツギが、すぐに大きくなり、その向こう側が見えなくなっていたんです。母の視野は右だけとなったし、庭にも気軽に出られなくなったから、せめて、座っている場所からは、広く見えるようにしたいと思いました。すぐに大きくなってしまう更紗ウツギですが、高さ、1メートル以内くらいにおさまるように管理していきたいと思います。この他にも、ずっと気になっていた花蘇芳も、短く切りました。花の時期はほんの少しなのに、あとは、すぐに大きな葉が汚くなって、道路にも散っていくし、みっともない。根元近くまで切りました。ノコギリ作業でも疲れたのでしょうかね。それから、パイナップルは、ここに置きました。日中は、レースのカーテン越しに光を受けて、暖かそうです。昨日もって帰っていた洗い物を、今日、病院まで届けに行ったら、理学療法士さんともお話することになりました。文字はなんとか書けそうだけど、とにかく視野が右側だけなので、しばらくは、一般病棟に移ってからも、リハビリをした方がいいでしょうねー、と、言われましたよ。左側が見えない生活に慣れておいてもらった方がいいので、よろしくお願いしてきました。そういえば、脳外科病院の受付の人から、「後期高齢者医療限度額」の負担額を減額できる書類がもらえるかもしれないので、役所に行ってみるように言われ、行ってみたら、認定証がもらえました。それで、医療費が、一般だと一か月の限度額が57,600円のところ、15,000円に。食費も、一般だと460円なのが、100円の負担ですむらしいです。まあ、母の場合手術とかはしないので、そんなに高くなることはないでしょうけどね。では、母のベッド周りを片付けていた時に見つけた本。墨彩画で描いた絵に、先生がよく山頭火の句を添えられる。なかなか面白い句が多い。この四冊の本は、大山澄太という方が、山頭火の遺した日記(大学ノート)を元に、本にまとめられたものらしい。旅に出る前の日記は、すべて燃やし、 焼き捨てて 日記の灰の これだけかという句を詠んだ山頭火。その後の旅の日記は、いっぱいになると、友人に郵送して、保管してもらっていたらしい。でも、のちに句集を出すときには、その中からほんの僅かしか載せなかったので、この本を読むと、山頭火は選ばなかったけれど、山頭火の思いがいっぱいに詰まったたくさんの句に触れることができそうです。さみしいなぁーーひとりは好きだけれど、ひとりになるとやっぱりさみしい、わがまゝな人間わがまゝな私であるわい。昭和5年の12月5日。福岡にやってきた山頭火は、 さすがに福岡といふ気がする、九州で都会情緒があるのは福岡だけだ、(関門は別として) 街も人も美しい、殊に女は! 若い女は! 街上で電車切符売が多いのも福岡の特色だ。 (中略) 酒壺洞君は寝たまゝでラジオを聞いてゐる、私にも聴かせてくれる、 今更ながら機械の力に驚かずにはゐられない、 九時、途中で酒君に分かれて、雨の西公園を見物する。 それからまた歩きつづけて、名島の無電塔や飛行場見物、 ちょうど郵便飛行機が来たので、生れて初めて、飛行機といふものを近々と見た。 (中略) 十一時近くなって、送られて出立する、 別れてから一時頃まで福岡の盛り場をもう一度散歩する、 かん酒屋に立ち寄って、酢牡蠣で一杯やって、それでは福岡よ、さようなら! 朝日かがやく大仏様の片頬 まともに拝んでまはって拝む大仏さま 小春日有縁無縁の墓を洗ふ おいしいにほいのたゞよふところをさまよふ どっかりと腰をおろしたのが土の上で ころがってゐる石の一つは休み石 福岡中洲をぶらぶら歩いてゐると、 私はほんたうに時代錯誤的だと思はずにゐられない、 乞食坊主が何をうろうろしてゐると叱られさうな気がする(誰に はて誰にだらう) すぐれた俳句はーそのなかの僅かばかりをのぞいてー その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ。 前書なしの句といふものはないともいへる、 その前書とはその作者の生活である、 生活という前書のない俳句はありえない、 その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。 (後略)なんか面白いです。