ほんっと、偶然っていうのは凄いなぁと思うことが
またまたありました。
数日前、知人から「とあるプレゼント」を貰いました。
メールを確認するのが遅くなって、
おとといそのプレゼント(文章)を読んでいたのですが、
疲れのためか、途中で寝てしまいました。。。。。
そして、
昨日、私は自分のブログにコメントへの返事の中で
「もう人間いいかな」
って文を書きました。
「もう生きるのはいいや」ってわけではないのですが、
たまにそう思うこととかあったりするので
何気なく書いちゃいました。
すると、そこの部分に関連して、知り合いから電話があり
ちょっと話をしました。
その方も
「もう一生懸命生きてきたから、もう休んでもいいかな」って
思うことがあるとのこと。
今、次のステップに向かうための大きなチャレンジが
起こっているようでした。
その話をしながら、自殺願望の話も出たりしました。。。。。
無難に生きるという感じではなく
一生懸命、生きれば生きるほど
辛いことや、乗り越えるようなことが起こったりするのかな。
今朝、目が覚めて、そんなことを思いながら
おととい途中で寝てしまった知人からの「プレゼント(文章)」の
続きを読みました。
すると、そこに「答え」がありました。
「死んでも楽にならない。
死んでもその問題はそのまま残るだけで、
逆に肉体を失うので解決することができなくて闇が深くなる」
「死んでから、その苦しみの先にあったプレゼントを
受け取れなくなったことを知って後悔する」
「その辛さや苦しみは、生まれる前から自分自身がプログラミングしたもの」
自分で命を絶つということは、
魂の目的を自ら放棄することのようです。
けれど、だからといって、
自殺した方の魂は救われないのかというと
そうではなく、
ちゃんとそこから光へと変化する方法も用意されているようです
え、、、っと、先日のブログに書いた
ちょっと悲しいことが原因で
「死を考えた」とかってわけではないですから・・・・
ご心配なく
死んでも楽にはならないんだなぁ・・・
生きてるって、楽しいこともあるけど
辛いことも、しんどいこともあるし
一生懸命生きてきたから、もういいって思うことがたまにあるんだけど、
寿命まで全うすることが私達の大きな目的なのでしょう。
そう思いながら、澤谷先生のブログ
「絆の法則」を見ていたら、そこにも同じようなことが!
「人生における体験は、
たとえ、悲しく、切なく、やるせなく、苦しいものであっても、
自らに教えるものであり奪うものではありません。」
そっか・・・・
最近私が経験した「ちょっと悲しいこと」も
自らに教える体験だったのよね・・・
その先にある光を待とう。
そう思おう、その失敗を学びにしよう
と思いました。
知人からのプレゼント。
別の知人からの電話。
澤谷先生のブログ。
絶妙なタイミングで
いろんなところからメッセージが届きます。
ありがとう。